明王院/ Myo’o-in
大陸との繋がりを感じさせる南北朝時代の斬新な意匠
愛宕山中腹近くにあり、眼下に草戸千軒町遺跡を見渡す明王院は、中道山円光寺明王院と称し、国宝の「本堂」「五重塔」を有する真言宗大覚寺派の古刹として知られています。もともとは、西光山理智院常福寺といい、大同2年(807)弘法大師の開基と伝えられています。その後、鎌倉時代後期の南都西大寺流律宗の勧進活動や草戸千軒の繁栄の影響もあって、鎌倉時代末期に本堂再建、室町時代前期に五重塔を建立など、"中世・西国屈指の寺院"となります。元和5年(1619)、水野勝成が福山藩主として入府してからはその庇護を受け、三代水野勝貞は常福寺に、城下神島町の歴代藩主の祈願寺となっていた明王院を合併し、当時の住職宥仙は、寺号を明王院と改め今日に至っています。江戸時代には、書院、庫裏、鐘楼などの堂舎が建立されて寺観が整えられました。現存の本堂、五重塔、山門の3棟は常福寺であった頃の中世の建築とされています。
その中でも本堂は、鎌倉末期に再建された密教本堂の代表例であり、和様と唐様、天竺様の3様式を巧みに融合させた折衷様の代表として有名です。外観は唐様の意匠を濃厚に用いており、長押をいっさい使わず貫だけを用いるなど、建立時代が古い割には斬新な意匠になっています。中国江南地方の建築様式が伝来したものと推定され、この寺が大陸との交易路であった瀬戸内海の要港の近くに立地する点からも、その可能性が高いとされています。
五重塔は、南北朝時代の建立で、純和様の格調高い塔姿が印象的です。内部には、極彩色が残り、また仏壇の下部には蓮華の彫刻がめぐらせてあります。一文勧進の少資を積んで造られたことが、伏鉢の陰刻銘から分かると同時に、本塔の心柱が一層の天井で止まっているなど、全国的にも珍しい例。手法も雄大で、南北朝時代の代表的和様建築です。
山門は、一名を萩の門とも言い、一木の萩の木で建造されたと伝えらえています。時期は、本堂や五重塔と同時期の建立とされています。住所/福山市草戸町1473
問合せ先/084-928-1117(福山市教育委員会事務局文化スポーツ振興部文化課)
交通アクセス/JR福山駅からタクシーで10分
公開情報/見学可能(8:00~18:00)
拝観料/無料
撮影/OK
HP/http://www.chisan.net/myooin/
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