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平成26年度第3回 広島県の教育を語る懇談会

平成26年度第3回 広島県の教育を語る懇談会

 本県教育の在るべき姿を見据えて,幼少期から社会人に至るまでの一貫した「人づくり」について,先進的な事例や専門的な知見を踏まえた大局的な議論を行い,広島県全体で取り組む施策の企画検討につなげるため,平成26年度第3回「広島県の教育を語る懇談会」を開催しました。

1 開催日時及び場所

・日時 平成26年11月18日(火)12時45分~14時30分

・場所 広島県庁 北館 第1会議室

2 出席者

・外部有識者 5名

・行政関係者 4名

 

3 議事要旨(委員の主な意見等)

≪テーマ≫

 社会の要請に応える人材を育成するための“学びの質”の向上について

〇子供たちには,知識を詰め込む・溜め込むということよりも,「学び」の意味,今,何のために学んでいるのか,どういう意味があるのかということを感じながら学んで欲しい。勉強していることの本質的な目的や意味を感じながら学ばないと,やらされ感に繋がり,そういう中で溜めた知識,表面的な知識では,十分に活用できないと思う。

〇本質的な意味を感じながら学ぶためには,教員の教え方が重要であり,知的好奇心や知的興味を満たすような授業が行われる必要があると思う。例えば,これをきちんと理解し,自分のものにすれば,「社会に出た時や大人になった時に,こういうふうに活かせる。」,「自分の能力がこういうふうに向上する。」といった,子供たちが知的好奇心や知的興味を持つような指導が求められる。ともすれば,「なぜこのようなことをしないといけないのか。」,「これは将来何の役に立つのか。」と思いがちな中で,意義付けや動機付けをしてやれる先生の指導力が重要だと思う。

〇もう一点は,色々な発想ができる,多面的に考えられるという思考ができるようになってもらいたいと考えている。例えば,仕事でいうと,長年こういうやり方でやっていたが,こういうやり方もあるのではないかと感じることが大切で,画一的に,ずっとこれはこうだということで,一方的に押し付けるのではなく,考えさせ,柔軟な発想を引き出すような場面を作るとも大事だと思う。

〇このことについても,教員の指導力が重要になってくると思う。例えば,歴史の勉強は暗記することが多いが,「愚者は経験に学び,賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるように,歴史上の出来事から何が学べるのか,どのように活かすことができるのかといったことに気付かせる授業ができるよう,例えば,教員の指導書などの中で扱いを統一する,マニュアル化するなどにより,ある程度,全体の教え方を底上げできるのではないかと思う。そういった中で,「広島県の教員は皆,何か違うよね。」ということになれば,素晴らしいことだと思う。

 

〇「広島版『学びの変革』アクションプラン(仮称)」の中で,人材の数が減っていくことを課題とした上で,厚みのある人材層の形成が欠かせないということが指摘されているが,「厚みのある人材の形成」ということをしっかりと受け止め,プランが構想されているかどうかをみたが,全体としては,よく課題を捉えていると思う。その上で,どれだけこのプランが現実に迫っていけているのか,広島県の課題を捉えた上で,上手くかみ合い,成果が上がるような形で進めていけるのかということについて,見届けていくことが大切だと思う。

〇総論として書かれたこのプランは概ね了解できるが,それぞれの地域や人々の生活と,どれだけ上手くかみ合い,具体的に展開していくことができるのかということが重要である。「厚みのある人材層の育成」の「厚み」という部分で,多様な地域性や多様なことが求められている点に,どのように浸透していくことができるのかが,このプランが,より成果のあるものになっていくかどうかの1つの大きなポイントであり,今後,丁寧に見ていく必要があると思う。

〇義務教育段階では,厚みのある人材を形成するに当たり,義務教育段階のしっかりとした質の保障や質のレベルアップが,非常に大切になってくる。そういう点では,「学びの質」と義務教育が,相応の責任を果たしているか,それぞれの地域で義務教育がしっかりとできているかどうか,このアクションプランがどのように噛み合い,義務教育の質の保障や向上に繋げていくのかということについて,見ていく必要があると思う。

 

〇アクションプランを一人の親として見た時に,すごく大変そうなところへ子供を入れないといけないという印象を私は持った。子供に対して求められるものが多く,子供自身が本当に幸せだと感じるのは,一体どういうことだろうと改めて感じた。

〇就学前に,「教育」というのはなかなか難しいと思う。親御さんは子供の感性を磨きたい,色々なものに触れさせたい,体験をさせたいとよく言われるが,最近の親子さんを見ていると,子供たちは様々な情報に触れる機会や物を見る機会がたくさんある一方で,実際に人と触れ合う場面がなかなかないと感じている。一例として,子供の機嫌が悪いと,親がスマートホンのアプリを使って機嫌を取っていると聞く。生の人と人との関係というよりも,そういうもので子供の感性を磨くといったことが多いのではないかと思う。

〇絵本の読み聞かせについて書いてあった新聞記事で,これは本当に当たっているなと思ったことがある。絵本の読み聞かせを親子ですると良いということをよく聞く。母親たちは,絵本の内容を読み解く,知らせるということが大事だと考え,「どのような絵本が良いのか。」,「どのような内容を子供たちに教えればいいのか。」ということを尋ねることが多いが,内容も大事だが,親子で一緒にその場を楽しむことが大事だという。親は子供の表情を見ながら言葉かけを色々考える。その時の微妙な感情の揺れを子供は耳で聞き,母親の顔を見て,言葉の情報以外の部分,「相手の感情」を知り感性を磨いていくと書かれていた。私自身も子供に絵本を読み聞かせる時には,ただ本を読むのではなく,泣いたり笑ったりする子供を見ながらこちらも楽しむといった感情のやり取りをしてきたと思う。こうしたことを大事にしていく必要があり,単にたくさん本を読ませれば良いということではなく,親子がそういう時間を大事に過ごしていくということが必要だと思う。

〇最近の母親は,抱っこが上手にできない人が増えているように感じている。抱っこ紐から子供を落としてしまうというニュースが最近もあった。抱っこの仕方を見ていると,子供を自分の体から離したところで抱っこ紐を使っている母親が結構多い。これは,学生の頃に,紐が長い,ダランとしたカバンに慣れてしまい,カバンを持つのと同じ感覚で子供を自分の身から離して抱っこ紐を使っているのではないかと言われている。そういうところからも,子供との触れ合い,親子の感情のやり取りというものが弱くなっているように感じる。親たちは,決して悪気なく,自分の体験をもとに子育てしているのであるから仕方ないのかもしれない。教育で乳幼児の感性を磨くことも大事だが,親子を含めた形で支援していくことが,乳幼児が健やかに育っていくことに繋がっていくと思う。

 

〇「社会が要請する人材」がどういうものかと考えたが,「知識偏重型の学び」が,既に意味をなさない,意味を失いつつあるということは,おそらく社会の認識だと思う。知識を体得することで実際の課題に対処できた時代に比べると,課題が非常に複雑化し,課題が非常に速いスピードで起き,遠い所で起きていたことが,いきなり自分のところで起きるかもしれないという目まぐるしい課題が取り巻く環境の中で,いかに適切な判断をして問題を解決できるか,そういうことができる人材が,大きな意味での社会に要請されている人材像だと思う。

〇そういった目まぐるしく,非常に複雑な課題が存在する環境の中で,今後,どういった資質が社会から要請されていくかと考えた時に,教育の中で欠けている大きなものがいくつかあると思う。1つ目は,批判精神に基づく思考である。課題をどのように捉えて,自分としての捉え方や批判の在り方,ディベート的な観点といった思考があれば,そのためにどのような知識が必要なのか,こういう知識があれば自分はもっと思考を深めることができるのではないかという発想になっていくと思う。今の状況は,若干順番が逆になっており,小学校や中学校で詰め込まれた知識が,大人になってから,あの時に学んだことはこういう意味があったのかと繋がることがあると思うが,本来は逆であり,何のためにこれを知りたいのかという学びの動機付けが与えられていれば,自然に知識を増やそうとし,意味のある知識が増えていくのではないかと思う。知識自体が無意味というよりは,どのような意味で知識が活用されるのかという道筋を,自分で立てられるような思考が必要だと思う。

〇資質の2つ目は,社会課題が非常に複雑化し,速いスピードで起きており,そういう社会課題に対する当事者意識が非常に重要だと思う。かつてであれば,例えば,エボラ出血熱が発生していることも,何日,何か月遅れた新聞で読み,そういうことがあったと過去のこととして知ったとしても,特に問題はなかったのかもしれないが,今の時代は,どのような課題がどのような形で,どこで起きるかを想定するのが非常に難しくなっている時代であることを考えると,どんな課題でも,自分たちが地球市民として向かっていく必要があるという認識を持つ取組が必要だと思う。

〇3つ目は,多様な視点が非常に重要だと思う。これからグローバル化が進んでいく時代において,自分とは異なるもの,異端なもの,社会における弱者,自分とは接点がないかもしれない弱者への視点というのは,非常に重要になってくると思う。

〇これら3つの資質は,大人に求めても非常に難しいものだと思うが,いかにそういった土壌を幼少期から育めるような環境を作っていくのかが非常に大切だと思う。その際に重要なのは,幼少期の教育に関わる教員の育成である。どのような活動を行うのか,どのようなカリキュラムを作るのかということも大切だが,幼児教育の中で最も長い時間幼児に関わる教員が,これらの視点を持っているかどうかが,折に触れて出てくる課題であり,教員がそもそも社会の要請に応えられるような資質・視点を持っているかどうかが重要である。

〇もう1点は,型にはまった学びというよりは,どのように実践的なものにしていくのかが重要だと思う。特に幼少期においては,研修プログラムといった複雑なことではないが,地域との繋がりがもっと幼児教育に盛り込まれてもいいのではないかと思う。幼稚園も保育園も,近所で実際に起きている問題や行事などに,自然に入っていくことができる環境が幼い時からあれば,大人になった時にも抵抗感なく,自分の周りや遠くにある課題について,当事者意識を持ちやすいのではないかと思う。社会の要請に応える人材の輩出というのは,非常に長いスパンで捉えていかなければならないと思うが,その入り口の幼児期のところを,どのように設定するかは非常に重要な課題だと思う。

 

〇色々なデータを見ていると,今の子供・若者の中には,社会的要請とは逆の傾向がいくつか見られる。1つ目は,すごく自信がないことである。自信がなく,リスクを避けようとしており,積極性がない。とても優しく,人のためになりたいという気持ちは,国際比較で見てもやや高いが,型破りな,オリジナルなことを自分でやっていくという強さは,国際比較で見てもかなり低い。もう1点は,知的な面に関して,今の子供・若者には,いまだに一次元の学力という軸で自分も他者も評価し,自分がどのあたりにいるのかを非常に意識している。親や教師からの働きかけもあるが,そういう抽象的な学力,数値化された学力という基準にすごく囚われているところがあり,打破していく必要があると思う。

〇第1点目の積極性や自信は,知的な賢さとは少し別の力で,文部科学省であれば「人間力」や「生きる力」と表現しているものに近い。ノーベル賞をとったアメリカの経済学者・ヘックマンは,能力を「コグニティブ(cognitive)」と「ノンコグニティブ(non-cognitive)」に分けて捉えている。コグニティブが知的な賢さ,ノンコグニティブが積極性や自信,自律性で,後者は性格スキルという言われ方もするが,ノンコグニティブな力は,5歳までに決まると言われている。5歳までの環境はとても大事で,5歳までに付けた力は,成人期にまで影響するという研究結果をヘックマンは出しており,幼児教育の重要性が一層注目されている。

〇能力を大きくノンコグニティブなものとコグニティブなものに捉えたときに,日本の若者は総じてノンコグニティブな力が低く,コグニティブな力については,非常に垂直的な一面的なものとして捉えがちであるというのが特徴だと思う。これは若者が悪いのではなく,そういう環境を社会が作ってしまっていることが要因である。特にノンコグニティブなほうの消極性は,周囲の親や教員を含む色々な人の働きかけの中でできあがってしまっているものだと考えられる。

〇今の日本の子供や若者の中で広く見られるいくつもの考え方があり,そのうちの1つとして,「人に迷惑をかけてはならない」というメッセージが,非常に濃厚に家庭でも学校でも伝えられていると思う。先日,ある学校の授業を見学した際,先生が突然声を荒げて「聞きなさい。ふざけて聞いてなくて,後で分からないとか言って,他の皆に迷惑をかけるな。」と言ったのを見て,若い子は小・中・高校と,ずっとこのように言われて育ってきて,そういう中でどんどん自分を周りに馴染ませるように,迷惑をかけないように,場を荒らさないようにと順応しているんだなと思った。これを転換することは非常に難しいと思うが,1つの方策として,先ほどの先生が「迷惑をかけるな」と言ったのは,クラス40人のペースや足並みを揃えて授業を進行させないと,学習指導要領に書かれていることは終わらないという制約がすごく強いからだと考えられる。財政制約の中で非常に難しいが,理想を言えば,できる限り少ない人数で教育を行えるようにすること,多人数であっても,個々の子供の進度や発想をできるだけ大事にし,一見乱すような行動であったとしても,それを無下に否定するような形ではない指導を,小・中・高校でどのようにしていけるかが大事になってくると思う。

〇フィンランドの教育などを見ると,自分のカリキュラムを自分で作り,自分で取り組む学習内容を自分で選んでやっている。この一週間でどこまでやるのかという目標を作り,先生がOKを出す。その目標に向かって,この時間,算数に取り組むのか,本を読むのかは,子供たちが自分で決められるようになっている。これは本当に少人数で,きめ細かい教育が行われているフィンランドであるからこそできることであり,すぐに日本に導入するのはとても難しいことだと思うが,理想とすべきは,自由度や個性,多少型破りなところを肯定するような教室空間だと思う。

〇コグニティブなほうの力に関しては,日本で従来から問題視されてきた,知識偏重や詰め込み・溜め込み・やらされ感というものは,今もなお強く残っている。非常に抽象度や難度の高い計算問題や暗号読解みたいなことが,今でも教室の学びの中心になっている。そういう実情を変えていくのは本当に難しいことだと思うが,文部科学省も現状を打破しないといけないと思っているからこそ,大学入試を通じた高大接続についての検討をはじめ,次の学習指導要領の改訂に向けての中教審への諮問も近々なされる状況にある。そういう方向性を先取りするような形で,詰め込み・暗記,精密な機械になっていくことが最も素晴らしいとされるようなものではないコグニティブな教育を,早くから広島で導入してもらいたいと思う。具体的には,数学の演算や,科学や物理の公式,英語の基本的な単語の意味や文法など,教えなければならない基本は教えた上で,その基本に基づいた理解の確認や,課題に取り組むのは,かなり生徒の主体性を重視する。教え伝える部分と,実際に自分たちで取り組む部分との時間や課題の配分が重要であり,後者については自分たちでペアになったり3人になる中で,解決方法に取り組んでいくことが大事だと思う。

〇これからもっと大事になっていくのは教科を貫く学習である。今は総合的な学習の時間があるが,今後もっと本格的に,重要度が増していくと思う。総合的な学習の時間において,まさに社会の要請,様々な社会的課題や科学的な問いなどに,色々な角度の知識やスキルを駆使して取り組んでいくこと,教科を貫く,教科をまたぐ学習を,小・中学校段階から導入してもらいたいし,高校ではもっと重要になっていくと思う。

〇今後さらに,高校段階が非常に重要な意味を占めてくると思うが,これから社会的要請の中で,例えば,東京に富が集中する中で,どの道府県もこれからどうやって人材を確保し,維持し,回していくのかということが,差し迫った課題になっていると思う。どの都道府県でも,学区の撤廃や広域化が行われる中で,高校のランクは以前よりも明確化していると思う。その中で,公立であっても一番の進学校に重点的に資源を投入して,全国的な難関大学に何人入学させるかが達成目標とされている。少なくとも受験学力的な面では優秀だとされる若者を,東京大学や旧帝大と言われる大学にどんどん送り出すが,彼らは結局帰って来ない。都道府県の資源を使って優秀な子を育てて,送り出して,結局何も投資の回収がなされない。なぜわざわざ東京に貢献するような人材育成を都道府県がしているのかが分からない。以前から,どこの大学に何人入学させたかということでしか,高校の教育の成果が計れないようなやり方が,今なお慣性の法則として続いているから,そういうことになっていると思うが,もうそんな時代ではないと思う。

〇過去の尺度に従って,抽象的な,難関大学合格者数といった優秀さではなく,具体的に地域の社会的課題に貢献する人材を育てるためには,進学校や困難校と言われるような高校のランク,縦の差を広げていくのではなく,色々な専門分野の高校を造り出す,専門学科でも,普通科専門コースでもいいが,地域課題や日本の課題,世界の課題に即した専門分野を,狭い専門性ではなく,伸びしろのある「柔軟な専門性」により,カリキュラムを設計する必要があると思う。例えば,農業から発して世界を考える,ケア・介護ということを取っ掛かりとして広島のことを考える,日本のことを考え,世界のことを考えるというように,ある専門分野を切り口にして,そこから大きく広がる社会に思いを馳せるというコースや学科を設けてもらいたいが,実態は逆である。統廃合でどんどん専門学科などが減っていく一方で,普通科の縦の格差のみが広がっていく。こういう問題点を認識していけば,縦に広がる垂直的な格差をできる限り見直して,色々な分野で,すべての子供・若者が力を発揮できるような居場所と出番があるような,そういう水平的な多様性,少し目立たない子でも,この分野では十分な素晴らしい力を持っているといった,全員の良いところを見つけてやれるような教育を高校段階から始めるべきだと思う。

 

〇PISAにおける2012年の日本の15歳の子供たちの数学的リテラシーのスコアが536まで回復している。この子供たちは,ゆとり教育を受けてきた世代であるが,ゆとり教育は成功したのではないかと認識している。例えば,国際的な学力を見たときに,PISAで言えば,人口1億人を超える国でトップ10に入っている国は,日本以外にない。ほとんど人口1千万人以下の小さな国が,PISAの上位国に入っている。そういう中で,日本はこれだけの規模がありながら高い学力を維持している。知識再生産をしていくような教育という観点で言えば,圧倒的な教育大国だと思う。一方で,EQ(Emotional Intelligence Quotientの略:感情知能(心の知能指数)とも呼ばれている。)の部分に課題があると思う。どこにでもエースと呼ばれる人がいるが,この人たちはとにかくタフである。心も体もタフで,そのタフさは,何かを背負って立つときに求められていくものだと思う。そこに教育をもっとしていかなければならないということは,どこに行っても言われることである。

〇日本の教育制度は,大学を頂点に逆算して作られていることから,大学入試改革は特に高校に,さらに中学校,小学校にも影響を与えるものだと思う。県立大学の入試改革を真っ先に推進することで,県内高校生の「学び」,高校卒業段階のイメージが全部変わってくると思うので,ぜひ推進してもらいたい。広島県は,公立高校や公立大学が多いことから,取り組みやすいのではないかと思う。

〇高校教育改革について,日本と世界で2つの共通点があると思う。1つは,特に日本において,ティーチングスタイルに課題があると思う。生徒のラーニングスタイルと,教員のティーチングスタイルの不一致が起きていると,授業が面白くないと思う。色々な高校を見て回っていて,この子たちは勉強をしたくないのか,あるいは,勉強が苦手というよりも勉強がつまらないのだろうと思ってしまう。ティーチングスタイルを変えていくというのは,彼らにとって授業が面白くなることだと思う。そのためには,教員の教育観がまず変わらなければならないと思う。

〇もう1つの特徴は進路指導である。日本の高校教育で最も遅れているのは進路指導だという人もいる。進路指導に成功しているところが,教育改革でも上手くいっているが,高校の教員と話をすると,進路指導よりも入試に合格する学力のほうが先だと言われる。ディスカッション型の授業や探求型の学習は非常に理想的だが,それで大学入試で結果が出るのかと言われたら,やはり従来のティーチングスタイルにこだわってしまい,進路指導よりも学力を付けさせる方向になってしまうということを随分言われる。しかし,結果として見た時に,上手くいっているケースは,従来の教育観を変えて,ティーチングスタイルを変えて,進路指導を強化していったことで結果が出ている。

〇その上で課題になるのは,教員が非常に忙しいことである。日本の教員は,生徒に直接関係のない業務があまりにも多すぎて,これでは新しいティーチングスタイルを,高校生に対して実際に導入しようというレベルまで完成度を上げていく時間がないと思う。教員と話をすると,確かにそういうティーチングスタイルは分かるが,今のティーチングスタイルは,毎日使っているから完成度がすごく高いと言われる。新しいティーチングスタイルを使おうとした場合,完成度は少なくとも,テストマーケティングで60%くらいに達しないと実際には使えない,これは社会的責任であり,誠実であるとはそういうことではないか,一体どこでそのティーチングスタイルの完成度を上げるのか,時間外ではないか。だから,今のティーチングスタイルはずっと続いていくということを言われる。いかに新しいティーチングスタイルを実働可能段階まで引き上げていく時間を確保することが難しくなっているかということだと思う。

 

〇先日,長野県で日本初の総合教育会議が開催されたという新聞記事が出ていたが,私としては,日本最初の総合教育会議は,「広島県において」と報じられてもおかしくはないと思う。私自身,この会議をそのように認識しているし,広島県は,そういう意味で,全国に先鞭を付けていると思っている。

〇広島県では,県内の多くの市町教育長が,年に一度,小中一貫教育についての情報交換をしていると聞いているが,こういう話は他県ではあまり聞かない。広島県は,小中一貫教育について,先進県として自他ともに自負して良いのではないか。

〇小中一貫教育の先にある課題は何かというと,義務教育と高等学校の接続だと思う。高大接続は,基本的に大学から高校へというベクトルが強いが,小中一貫は,小学校から中学校,中学校から高等学校というベクトルが強い。そうすると,大学からのベクトルと,小中学校のベクトルがある中で,今後どのように高等学校を存在させるのか。今後,その議論を進めていくと,高等学校はある意味,草刈り場になる可能性もあるのではないかと思う。あるいは,義務教育と高等教育との間で,高等学校はどうあるべきなのかということは,大きなテーマであることから,今後,全国的にそういう状況が出てくるのではないかと思っている。このことから,高等学校における配置や,普通科や職業系ということを含めて,戦略的な転換を図っていくことが避けられないと思っている。それを他に先駆けて取り組もうとする戦略をとるのか,ある意味で一番後出しのような形の戦略をとるのか,色々な対応の仕方があると思うが,県内における高等学校の配置や人材養成,教育政策に関わる時の大きな根幹の1つになっていくと思う。

〇広島県にも,これまで,高校の配置も含めた色々な政策があったと思うが,高校を取り巻く状況の変化や,この先を見据えたときに,次にどういう策を出すのか,出せるのかが,大きなテーマになると思う。これはかなり繊細で敏感に反応されるものなので,扱い方が難しいテーマだと思うが,これをどのように扱っていくのか,取り組んでいくのかは,この先の教育の在り方の一番胆になる部分ではないかと思う。広島県の現状や将来展望を踏まえて,どういう策が出てくるのかを期待したい。

〇課題発見や課題解決の推進など,こういう学びの在り方を上手く溶け込ましていくことが非常に大切になると思う。課題解決学習の大きなポイントは,答えを見つけかねるような課題にチャレンジしていかなければならないということである。これまでは,教師や学校が,角度の高い正解を持って,そこに子供たちの学習を向けていく,その向け方に教師の指導性の優劣があったが,現在は,その答え自体がよく分からない,大人も正解を持ちえない問題となっている。教師は,答えがない,見つかりづらいことから教えきれない,従来の指導の考え方ではなかなか教えられないという話になってしまう。しかしながら,そういうところに教師と子供が果敢にチャレンジしていくという,そういう思考・考え方を持った指導者を我々は期待しているし,学習の過程の中で,子供たちにそういう課題の捉え方や課題へのチャレンジの姿勢,意欲,意思というものを培っていくようなことが期待され,そこに向けていく教師の努力,教員養成の在り方や教員研修の在り方等を導き出していくことが重要だと思う。

 

〇大学の医学部で病理学を教えていた時に,チュートリアル教育をしていた。これは,患者のシナリオを設定し,それを8人くらいのグループで,自分たちは何が分からないのかをピックアップさせることから始める。従来の詰め込み型と全く発想を逆にして,自分たちが学びたいことは一体何かということを自分たちで考え,本を読んで,教科書から必要な情報を得て,それを教室の中で自分たちが教師になったつもりで皆に解説する,間違っていたら私が指導する,そして最後の1時間だけ,私が講義を担当するというやり方をしてきた。これは,最近,一部で行われている反転授業と全く一緒だと思う。その時に思ったことは,学生の能力差がすごく出てくるということである。今までの医師養成教育では,例えば100人入学させると,100人全員を医者にすることが前提であることから,落ちこぼれそうな者全員を下から押し上げていかなければならない。そうすると,能力のある学生は,なぜこの程度しかやらないのか,もっと先へ行きたいと欲求不満になる。例えば,生徒たちに授業をやらせると,英語の教科書から何から読んで,素晴らしいレクチャーをする学生もいれば,人のノートを写してやっと付いてくる学生もいる。今までは,真ん中に寄せていた教育が,上も下もばらけた教育になってしまうことで,基準となる点を満たさない学生が3割から4割は出てしまい,随分批判もあった。一方で,極めて優秀な学生は,本当に我々の想像を超えるような能力を発揮してくる。「質」ということを考えた時に,反転授業のように,まずは家で勉強して来させ,疑問点だけ手を挙げさせて聞いてくれればいいのではないかという発想に思い切って変えることができないか。そのことにより,本当に「学ぶ」という意味を学生自身が感じながら授業ができるのではないかと思っていた。その時にある学生が「先生がもしこの時間を講義すれば,今の分量の3倍から4倍,自分たちは知識が増える。どうしてこんな面倒くさいことをするのか。」と言った。今の小・中・高校の教育はまさにそういうことで,いかに短い期間で,効率よく,受験に出ることを覚えるかが勝負である。この発想を変えない限りは,今のようなことを言う学生は減らないと思うし,物事を多様に捉えて,新しいことにチャレンジしていくというためには,皆で討論しながら問題点を抽出して勉強した方が有用だと思う。

〇高校が大事だと言われることはよく分かる。高校の仕組み改革として今,広島県では,中高一貫校も,専門に特化した高校も考えている。さらに,今まででは通信制や定時制の学校にしか行けなかった子供たちのために,広島市と県が協力して,定時制高校,通信制高校を一本にし,単位制にして自由に選択できる,自分が本当に学びたいところだけ学ぶというタイプの高校,全国初のフレキシブルスクールを設置しようとしている。状況に応じてチャンスを与えるような形の多様性,教える側の多様性が必要だと思う。

 

〇答えのない課題にどう対処していくのかということを,より強く組み入れていくことも必要だと思う。スピード感のある社会において,どういう人材が要求されていくのかを考えたときに,その場その場で最も適切な判断をするために,教育課程において,正解が決まっていない状況で,自分なりの答えを見つけ出すトレーニングを受けていくことが,非常に意味があると思う。本題に対して回答を見つけていくことが,マジョリティであることに異論はないと思う。それが例えば半々の割合になり,全く答えのない課題であれ,多様な視点があること自体に意味があるという環境になれば,全く異なる学力の人の視点が,非常に意味を持ってくる。

〇自分とは全く違う考え方,考えたこともなかったような考え方,自分としては非常に遅れていると思うかもしれない視点が,実際に社会に存在するからこそ,様々な社会課題が存在しており,それに対する共感力や思いを馳せるという発想があっても良いと思う。そのことは,幼少期からも導入できると思う。私が小学校の時に,絵本「蜘蛛の糸」を読んだ。主人公のカンダタは,後ろから来る人を「来るな」といって蹴落として,お釈迦様に糸を切られるという話だが,カンダタも人間なのだから,そういう弱さがあるのは仕方ないのではないかということを感想文に書いたところ,先生にそれはダメだと言われたことがある。今から思えば,結構重要なことを提起したのではないかと思うが,先生にとっては,持っていきたい回答があって,その枠の中で授業が行われていたということであるが,そういう,本来回答があるものではなく,回答を見つけていくわけでもなく,多様な視点を出すことそのものに意義があるという発想があると良いと思う。

 

〇義務教育と大学の狭間にある高校の重要性について,高校入試がすごく重要だと思う。中学校から高校への接続となる高校入試において,単に要素主義的な知識で試される面が残っているが,高校入試改革は県で進めることができることから,学力観,能力観の転換を考えていくときに,1つの重要なキーポイントになると思う。

〇反転授業の重要性については,私自身も大学で反転授業的な授業をやっており,その有効性は実感している。ただ,自治体によっては,小学校にまで反転授業をやろうとしているところもあり,少し危惧している。特に小学校低学年のころから,学校外で事前に学習をしてくることが前提となっている授業が進められた場合には,学校外でできるかということについて,家庭の色々な格差などが出てくることから,気を付ける必要がある。授業の中で伝えて,授業の中で議論にまで発展させるやり方をするべきであり,学校外に投げるやり方は,もう少し教育段階が上の方になってからのほうが望ましいと思う。就学前であれ,小学校低学年であれ,低い年齢におけるノンコグニティブとコグニティブの両方の教育が,それから後に,すごく影響することは否定しがたいことから,就学前のノンコグニティブだけではなく,コグニティブなところの基礎固めを,かなり早期の段階でしっかりやっておくことが重要だと思う。

〇日本の教育全体としての質はかなり良いが,大人数の子供たちが教室内にいる状況下で,小学校3年生ぐらいまでに身に付けておくべきことが身に付いていないままに,高校卒業あるいは大学入学まで行ってしまっている子供の例が実際にある。かけ算九九であれ,桁数の多い計算であれ,最も基本的なスキルは,低学年でしっかり押さえる必要があるが,それだけでは詰め込み方式に戻ることから,それをおさえた上で,小学校の早い段階から「考える力」を付けさせていく必要があると思う。

〇反転授業であれ,探究的な学習であれ,グループで受けると必ずフリーライダーがでてくる。リーダーシップをとる子が頑張ってやったことにただ乗りするような形というのは必ず出てくることから,ここをどうファシリテイトしていくかについて,教員の力量,一斉授業とは別の,より高度な力が問われるが,ファシリテイトについては,放置しておいてできるものではないことから,研修等を通して教員に対し,ノウハウを意図的にきちんと伝えていかなければならないと思う。

 

〇何かを変えようと思った時に,現実の文面の中で,どのように変えていくのかということは非常に大きな課題だと思う。広島県は広島県だけで成り立っているわけではなく,例えば今の教育観や教育システムを変えていく場合でも,偏差値で並ぶようなシステムに日本全体がなっている中で,それを変えたときにどういう結果になっていくのかということが懸念される。今,社会的に求められていること,一般に認知されていることをどう理解してもらい,長期的に見ると,答えのあるものに答えを出していくよりは,答えのないことについて考え,解決方法を出していくほうが大事だと言いながらも,なかなか理解されないということが課題だと思う。しかもそれを公立学校でまず進めていくことの難しさがある。まさに,なぜ反転授業でないかというと,効率的に全ての層を底上げすることが求められるからである。場合によっては,そういう直線的な評価軸に照らし合わせると,格差が広がっていく可能性があり,横にしてみれば,あまり関係ない話かもしれないが,こういうスキームで見ると,格差が広がっていくかもしれないと受け止められ,上位層だけやるのではないかと思われる。そうするとますます社会的に難しくなっていくと思う。

 

〇学校訪問をすると,習熟度別授業や特色ある学科など,それぞれの生徒の進路について,真剣に考えていると感じる。特に中山間地域の1学年1学級規模の学校では,特色ある学校にする,それに魅力を感じてくれる生徒をさらに募集するということを地域を挙げて取り組んでいる。日本の社会,企業社会においては,ユーティリティーな人間が求められているが,今のグローバル化の中で,資格を取得し,その資格に基づき社会に認めてもらえる,その資格に基づいて生活が成り立つ,そのような社会に変わってくれば,もっと中学校・高校での色々な専門学科を取り入れたプログラムができ,資格を取ることの価値を生徒に伝えることができるのではないかと思う。

 

〇今,色々なことを試しているが,一番の課題は教員の意識である。いわゆるリーダー校では,「学び」をきちんと考えてやってもらい,その結果として,大学進学に結び付いており,かなり「学びの変革」に近い形を先取りしてやってもらっている。定時制や通信制などの少し課題が大きいところは授業改善が主となる。専門学科などは,よく油木高校の取組が出るが,地域の過疎対策や耕作放棄地をどう解決したら良いかということを自分たちで考え,提案し,実行して地域を巻き込むという形ができている。一番の課題は,普通科の,進学が半数以上というようなところの姿勢が変わらないといけないことである。今のスタイルで,知識をどんどん教え込むことをしないと,大学入試に繋がらないのではないかと,生徒も保護者も考えている。委員から色々御紹介いただいたような形を作っていくことが,結果として,それに繋がるという成功事例をいかに作るかが課題であると考えている。

 

〇例えば,専門学科からちゃんと大学に行けるというルートをもっと太くしていくということで言えば,どちらかと言うとこれまで陰に隠れがちだったことが,実は将来のチャンスにきちんと繋がっているということを見直してもらう上で,とても大事だと思う。農業科や工業科,商業科が一般の入試で普通科と戦うには,時間が足りないが,推薦入試やAO入試を最大限に活用して,大学にちゃんと行けて,農業高校から国立大学の農学部に行って,大学院まで行ってというルートが,もっとはっきりと目に見え,そういう道があるのかということが分かるようになれば,今の垂直的な多様性から水平的な多様性へとソフトランディングすることは,それほど難しくないと思う。

 第3回懇談会の概要 (PDFファイル)(379KB)

4 資料

 次第 (PDFファイル)(22KB)

 出席者名簿 (PDFファイル)(101KB)

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