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平成26年度第2回 広島県の教育を語る懇談会

平成26年度第2回 広島県の教育を語る懇談会

 本県教育の在るべき姿を見据えて,幼少期から社会人に至るまでの一貫した「人づくり」について,先進的な事例や専門的な知見を踏まえた大局的な議論を行い,広島県全体で取り組む施策の企画検討につなげるため,平成26年度第2回「広島県の教育を語る懇談会」を開催しました。

1 開催日時及び場所

・日時 平成26年8月18日(月)13時~15時

・場所 広島県庁 北館 第1会議室

2 出席者

・外部有識者 5名

・行政関係者 4名

 

3 議事要旨(委員の主な意見等)

≪テーマ≫

 幼児期における教育の充実について

 〇保護者が,「幼児期の教育をめぐる環境が豊かで充実している」と実感できるかどうかが大切であり,例えば,「大都市では待機児童が多いと聞くが,うちの県や地域ではそういう話はない」と実感をもって豊かさが捉えられることが大切である。教育と医療は表裏一体の関係で,どのように医療環境が整えられているのかということも,子供たちをめぐる環境の充実と非常に重なり合うと思う。このことは,縦割り行政の改善に繋がる話であり,幼稚園や保育園の在り方に横串を通していくきっかけとしてみてはどうかと思う。

〇家庭教育に関し,小学校に入学すればそれなりの仕組みや制度がある一方で,そこに至るまでの段階が少し弱いのがこの国の現状だと思う。建前として,家庭教育の重要性は言われてきており,本来は親が責任をもって家庭で子供を育て,義務教育にバトンタッチするという考え方だと思うが,義務教育に入る前の段階自体が,あまり豊かな環境を整えきれていない現状があると思う。このことからも,小学校入学前の教育に関する全体像のようなものを再構築する,あるいは,総合的なプランみたいなものを策定することがあっても良いのではないかと思う。

〇これまでも,家庭教育の重要性や大切さは共有されており,今回の教育基本法の改正等においてもその重要性が謳われているが,とりわけ幼児期の教育は家庭教育が重要であるという原則は,大切にされても良いと思う。一方で,家庭教育を大切にするという建前で,子供をめぐる環境の水準の維持や引き上げについて,これまであまり取り組んで来なかったことについて,行政として反省しても良いのではないか。そのことで,幼稚園・保育園も,教育環境や保育環境の質が低すぎないか,もう少しレベルを上げることを考えなくて良いのかという話に繋がってくると思う。今後は,幼稚園も保育園も,マネジメントの在り方が問われてくると思う。もっと質を引き上げる観点から,それぞれの園のマネジメントの在り方を考えていく必要があると思う。

〇幼稚園や保育園に通っている子供と保護者は,ある意味一体の関係であり,幼児教育は,幼稚園や保育園に通っている子供だけではなく,通わせている親も対象であるという捉え方をする必要がある。親は学校を卒業したら教育の対象ではなくなるといった意識が日本の保護者には多いように思うが,子供と一緒に教育を受けるといった教育観,成長観を持っていくことや,持たせていくことが必要だと思う。その中で,企画やイベントに参加しない親子について,社会的なネットワークの中に,どのように取り込んでいくのかが重要である。かつては,近所に世話好きな方がおられ,そういう方たちが社会的ネットワークを作っていたが,それがなくなってきたとなると,そういう方の代わりになるものを創り出す,改めて掘り起こすことも必要だと思う。

〇社会から途絶したような状況の中で子供が育つと,バランスの取れた心の豊かさや,トータル的な意味での豊かさに欠けてしまう乳児・幼児に育ち,その子たちが将来,社会の一員となった時には,非常に不足するものを抱えた人間になってしまう危険性があると思う。このことから,幼児期ではできる限り,親を経由しながら,色々な社会的なネットワークの中で子育てをする環境をいかに作り出せるかが重要になってくると思う。

〇教育再生会議等において,5歳児からの義務教育についての話が出ている。学校関係者や幼稚園・保育園の関係者も含めて,5歳児からの義務教育は,現在小学校1年生でやっていることを5歳児に下ろすというイメージを強く持っているように思うが,必ずしも小学校1年生を1年前倒しするのが5歳児の義務教育ではないと思う。今の幼稚園や保育園にあるスタイルを義務教育化するとはどういうことか,小学校と5歳児の教育・保育の在り方との連携などについて,検討や議論をしていく必要があると思う。また,小学校と幼稚園・保育園の連携について,開発的な研究を行うパイロット校の設置を考えても良いのではないかと思う。

 

 〇広島県から,将来,広い意味で社会に貢献できる人材を輩出するための教育の一環として「幼児期の教育」を捉えた時,人格形成の基盤となる幼児期において,「安定した情緒」,「豊かな感性を育む環境づくり」が最重要だと思う。「安定した情緒」とは,自分が“ありのままの自分”でいることができると感じることのできる精神,「豊かな感性」とは,人生の悲喜を柔軟に受け止める感受性だと思う。こうした資質は,様々な形での愛情や感情に触れることで醸成されるものであり,家庭での時間はもちろん,家庭以外の対人関係の中で育まれることが理想だと思う。

〇様々な人間関係を経験し,多くを学ぶことのできる開いた心・寛容な人間性を培うためには,早い段階で,多様な価値観に対する感受性が育つことが望まれる。自分の日常の暮らしの範囲にとどまらず,より広い意味での「社会」を構成する人々と接することが「あたりまえ」となるような環境に幼少期に身を置くことにより,将来,より共感力のある人材となる基盤ができると考える。具体的には,地域の活動に幼児が保護者と共に参加する機会を設ける仕組みや,保育の場に様々な社会構成員やボランティアが参画できるような活動,広い芸術・文化に接する機会などがあると思う。

〇そのような環境で得られる学びは,語学教育や算数といったスキルに特化したものよりも,より普遍的で,人格形成の根幹となる感性に繋がると思うが,こうした環境の整備は,家庭や幼稚園・保育園が単体で行えるものではなく,地域社会が一体となって取り組む必要があると考える。

〇幼児期は,その後の人生にわたって要となる安定した情緒を形成する上で,最も重要な時期であり,常に,自分が安心して帰る,温かい場所があるという安心感を持つ上で,家庭は最重要な役割を果たすと思う。家庭が幼児教育において持つ最大の意味は,生きていく上でどのようなことがあっても,自分をありのままに受け入れてくれる存在があることを認識する力を培うことであり,保護者による,そのような家庭環境の構築が望まれる。ただ,現代の社会的・経済的な状況により,保護者自身が余裕のない暮らしを余儀なくされることも多く,行政や地域社会が一丸となって家庭をサポートしていくことも重要だと思う。

〇ありのままの自分を受け入れてくれる場が家庭で確保されているという前提で,幼稚園・保育園は,家庭では得られない多様な価値観や感性に触れる機会を提供することができると思う。保育士・幼稚園教諭という家庭外の人物との接触,他の家庭に育つ幼児との対人関係などを通して関わる様々な大人との交流を通して,自分と異なるバックグラウンドを持った他者が存在することを認識することにより,将来,多様な価値観を受け入れることができる人材となる基盤となると考える。

〇行政には,各家庭や幼稚園・保育園で提供できない機能の補完を求めたい。例えば,何らかの事情により,保護者が家庭において,自分をありのままに受け入れてくれると幼児が成長段階で感じられるような場を提供することが難しい場合には,社会福祉制度により,そのような場の機能が補完されるべきであると考える。児童養護における社会福祉制度の機能は,単なる養育機能の補完だけではなく,ありのままの自分を受け入れてくれる「安全な空間」の補完であるべきだと思う。

〇人格形成の基盤となる幼児期では,豊かな感性を育む環境が大切であり,「豊かな感性」とは,様々な形での愛情や感情に触れることで醸成されると思う。家庭や幼稚園・保育園という限定された空間で,一人の人間が接することのできる愛情や感情の形は限られており,地域が一体となって幼児教育をサポートできる取組が大切である。地域を構成する様々な人間が参画できる幼児教育の機会,例えば,地域行事や子育てサポートなどは,広く豊かな感受性を育む上で大きな意味を持つと思う。このような取組は,行政やNPO,企業,教育関係者などが一体となる必要があり,マルチステークホルダーによる地域的な幼児教育への取り組みが,今後一層,大きな役割を果たすと思う。

〇幼児教育において,個性を伸ばす教育や国際的な視野の重要性,考える力など,様々な要点が挙げられるが,そのようなスキルの重要性の前提として,安定した情緒・豊かな感性を幼少期にきちんと形成しておくことが,その後の人生ステージにおける成長への基盤となると思う。

 

 〇「幼児教育が充実している」とは,一般的には,色々な体験ができるとか,教育の場が多いとか,あるいは,外国語に触れる機会があるとか,そういうことがよく言われるが,親子を見ていて感じるのは,親が良いと考える体験をさせてやりたいという思いが強いのではないかと感じる。親が思う充実と子供が感じる充実は,必ずしも一緒ではないと思う。

〇充実した体験の一つとして,地域行事が大事で,そういう場に親子を参加させて一緒に色々な活動をするとか,それが良い育ちに繋がるのではないかという話だが,地域行事が必ずしも親子にとって歓迎されるものなのかどうかも考えなければいけないと思う。県内にはたくさんの支援者がおり,皆さん真面目にやってらっしゃるが,必ずしもそれがすべてプラスの面に動いているかどうか,例えば,大人が全てサポートをして失敗をさせないような支援をしてしまうような先回りのサービスをしてしまう,そういった支援者あるいは関わりを持とうとする方たちをたくさん見てきた。子供の幼児期の教育の内容を充実させるのはもちろん大事だが,そこに携わる人たちに,もっと子供の育ちについて考えてもらえる場があったほうが良いのではないかと思う。

〇先ほどの委員の意見を聞いて思ったのは,子供たちは,親や家族に,ありのままの自分を受け入れてもらいたいと思い,親もそのように考えると思うが,同時に他の子供の人権というものを少し考えていかなければならないと思う。自分がありのままであれば,他人のことはどうでもいいということではなく,社会の中の一員であり,他の人の人権も含めて,自分が社会の中で生きているということを考えてもらえるような内容も必要ではないかと思う。

 

〇「幼児期における教育」とはどういうことかと考えた場合,子供が他者とのコミュニケーションを上手く取ることができているか,幼稚園・保育園での教育の質などが挙げられると思う。最近は,一昔前に比べて決定的に公園等で遊ばせる機会が減っている。これは幼稚園や保育園に行く前の1歳・2歳くらいから,公園で他の子と遊ばせて,喧嘩をしたり,色々な遊びをするといった体験がなくなっており,そういう体験の不足に起因する色々な弊害が出てきていると思う。こういった不足している体験を幼稚園・保育園で行うことも一つの方法だと思う。

〇幼稚園・保育園での教育の質については,全体的な質を上げていくということに意味があると思う。図形を組み合わせたり,回転させたりするような,いわゆる知育的な能力開発を県内の幼稚園や保育園では,ここまでやりますといったような体制にしていくということではないかと思う。幼稚園と保育園の差はないとの指摘があったが,私自身のイメージとしては,幼稚園は,多少なりとも教育を期待して親が入れる,それに対して保育園は,働いている間,預かって見てもらう所といった差が少しあると思う。

〇子育て支援について,幼稚園や保育園にも預けない家庭がどのくらいあるかは不明だが,家庭的な問題あるいは費用的な問題で,そういった所に幼児期に預けることができない家庭に対する支援が非常に気になる。また,家庭での教育,いわゆる躾について,一義的には家庭の責任であると思うが,そういうことができない家庭に対する支援という点も気になるところである。

 

〇教育再生実行会議での議論をはじめ,国内のみならず,他の先進諸国,例えば,英米でも,今,幼児期が非常に関心の対象となっている。格差・貧困に対する対策や人材育成という点でも,幼児期における,きちんとした社会的,制度的な介入が,最も子供たちの将来に効率的に影響を及ぼすことができると認識されているが,日本ではその点が非常に手薄く,ようやく関心が向けられるようになってきた状況である。

〇幼児期の教育を考えるとき,家庭の役割を強調するのは,できるだけ少なくするべきだと思う。日本は,子育てに関する家庭の責任が非常に大きい国である。その家庭は,人数的に非常に少なく,保護者が,経済資源や文化的な資源,社会関係という資源,あるいは子供に使うことができる時間という資源,そういう資源をどれほど持っているのかによって,子供が得ることのできる資源に大きく差が付くようになっている。そこに,ただでさえ重圧がかかっている日本の現状の中で,これ以上,家庭にこうであれ,ああであれと期待することは,何ら物事に改善をもたらさないと考える。

〇母親以外の親族や,おじいちゃん・おばあちゃん,あるいは近隣の方など,多様な人が子育てに関わってくれているほど,子供のテキパキ度・ハキハキ度といったものが上がるということが,調査結果からも出ている。母親以外の多様な人間が関わる子育ての機会は,母親自身が社会に出ている,仕事をしている場合ほど大きくなっている。子供のことは社会できちんと責任をもって見ますから,お父さん・お母さんは安心して働いてくださいと言ってもらえることが,少なくとも親にとっては,ものすごく充実した幼児教育だと感じられると思う。

〇アメリカの研究で,なぜ母親以外の者が育児に関わると,子育てに有利かということに関して,子供のボキャブラリーという観点から研究された例がある。子供のボキャブラリーは,幼い頃からどれほどのボキャブラリーに接しているかによって決まってくるという。その際に,母親だけが育児をやっていると,当然母親だけのボキャブラリーに影響を受けながら育つため,子供のボキャブラリーも広がらない。母親をはじめ,色々な方が関わればボキャブラリーも増え,そういう中で育てば,子供のボキャブラリーも自然に豊かになるという研究成果がある。こうしたことからも,子供を母親に任せきりにすることの弊害の大きさということを考えていくべきだと思う。

〇家庭に多くを期待するのではなく,家庭外の,主に幼稚園・保育園における教育を,自治体の責任として,量・質ともに充実させていけるかどうかが根幹だと思う。量というのは,そもそも中身の問題以前に,保育サービスを受けられるのかということが,家庭にとってすごく不安材料となっている。その不安が払拭されるだけで,親たちはホッとする。ある種の権利として,ハラハラしたり,競ったりすることなく,幼・保いずれかを活用した形での就学前の教育の機会を確実に得られることを,まず前提として保障するべきだと思う。その上で,質の確保として,目標や理念,目指すものとして何を掲げるかが大事であり,その次の段階として,それをどう具体化していくのか,内容や方法の面での大改革が必要だと思う。日本ではグローバル人材や,生きる力,コミュニケーション能力などのスローガンばかりが踊って,それをどのように具体的に実施していくかということになると,急に話が萎むということが至る所に見られる。きれいな言葉で目標ばかり語るのではなく,それをどのように実現するのか『教育課程』に落として考えることが大事だと思う。多様な人間が多様なままにいて良いということを,しっかりと認識してもらえるような理念を,何らかの形で掲げるべきだと思う。

〇内容をどうするかということについて,情操教育などの点で自然体験などは重要だと思うが,一方で,例えばリテラシーや学力面での格差を,幼児教育の段階からできるだけ縮めるようにしていくことも必要だということになると,基本的な読み書きの準備くらいは,学校に上がる前に格差をなくしておくことが必要だと思う。基本的なひらがな・カタカナの読み書きと,基本的な数の概念ぐらいは必要だと考えるが,例えばICTに関する基本的なこと,例えば,タブレットの使い方など,そういうことを習うチャンスがないまま育ってきている子もいるので,そういったベーシックな体験を含めても良いのではないかと思う。自然体験だけでなく,そのようなリテラシーと,色々な芸術やスポーツまで含む文化的な体験を,地域の色々な人材や団体などに力を借りる形で,用意すべきだと思う。

〇日本の社会は,高齢の人が若い人に対して,非常に権力的な姿勢に出たり,性別による役割分業が強かったりという特徴を持つ社会である。こうした中で,子育て経験のない高齢の男性が,勝手な理想を押し付け,それを全部,若い母親が引き受け,苦しみが自分の子に向かうようなことが絶対に起こらないよう,幼児教育に対する認識をきちんとして,それをいかにして防ぐかということを議論していただきたい。

 

〇科学者,スポーツ選手,芸術家などのセンスは,ほとんど幼児期に出来上がるのではないかと思う。私は小さい頃から野山を駆け回ったり,釣りをしながら星に親しむなど,大自然の中から色々なことを教えてもらった。この体験が非常に重要であり,今生かされている。こういう自然や生き物に接する体験を人工的に提供する機会を作ることが必要ではないかと思う。

〇子供はみんなの共有物,未来から今の大人たちが預かっているもので,未来からの預かり物をしっかり育てて,未来に帰すという考え方が大事だと思う。

〇これからは,日本全体にまたがる社会教育のスローガンというか,取組が非常に大事になってくると思う。そのあたりを全国に先立ち,広島県で始めてみてはどうかと思う。

〇家庭の中の問題として,親が幼児という時期の大切さを,どのくらい認識しているのか,色々な家族を見ていて問題だと思う。今の家族は,小・中・高の受験の時期が大事な時期だと力を入れる家族が多いが,実際にはそうではない。毎日,朝起きてから寝るまで,子供のセンスを育てる,情を育てる,知を育てるといったチャンスは無限にあり,例えば,風呂に入って,熱い湯に手を触れれば,熱がテーマになるなど,無限にある材料や素材のそばで,親がどういう会話を子供とするのかは,非常に大事なことである。ちょっとした会話の中で,子供たちにもっと疑問を持っても良いと教える。そういうことがセンスを育てる上ですごく大事なことだと思う。家庭は家族の絆を強め,子供に安心感を与えていく上で大変大事な要素だと思う。

〇全国的に見て,県全体で幼児教育に取り組もうとしているところや,小さな町単位で幼児に焦点を当てて取り組もうとしているところもあるので,そういうところの取組も参考にしながら,広がりを持って取り組んでもらいたい。

 

〇子育てをしていく上で,子供が外で遊べるよう,治安対策が最も重要ではないかと思う。

〇親子の会話の質と量は,子育てには非常に重要だと思う。私の周りにはちょうど子育て世代が多いが,皆,残業が多く,疲れ果てている。子育てには家庭の役割が大きいが,親がバテバテではその役割も果たせない。だから,まずは親がリラックスできる時間を作る,夫婦で会話ができる時間を作る,そういった時間を作ることが,結局子供たちのためになるのではないかと思うし,家庭の会話の質や量を上げていくという点でも重要だと思う。

 

〇幼児期の教育・保育の充実という観点から,例えば,学習指導要領のような形で,幼稚園と保育園共通の客観的な基準みたいなものを定めることについてどう思うか。これまで,それぞれの幼稚園や保育園に任されているという面があるが,例えば,身に付けておきたい一定のリテラシーや,望ましい体験学習など,指導要領的なものを作るということが考えられる。こうした考え方は,一つには県内の教育・保育の質を高め,一定の水準を確保しようとするものであるが,一方で,多様な教育・保育の取組を若干失わせるリスクもあるのではないかと思う。これについて,どのように考えるか。

 

〇あまり細々と規定すると取組を縛ることになり,かえって融通の利かないものになるのではないかと思うが,大枠で,この点とこの点に力を入れます,最低限,確実にこれは確保しますといったような,ざっくりとした示し方なら可能だと思う。ただ,何らかの中身の規定をしないと,単に「多様な」,「充実した」ということだけでは,何も伝わらないと思う。程度や言い方の問題だと思う。

 

〇体験についてはあっても良いと思う。お遊戯会の練習ばかりではなく,少し具体的に,ここまでのことは教えましょうといった基準を示す。体験を色々やっているところは良いと思うが,やっていないところは,例えばこんなこと,というような示し方ができると思う。

 

〇具体的になればなるほど,狭く規定していくことになるので,なかなか難しい問題だと思う。

 

〇質の担保といったときに,小学校などの学習指導要領がそうなっていて,例えば,1年生の漢字であればここまで,算数であればここまでと,かなり細かく規定されている。そこをクリアすれば1年生が終わった,2年生が終わったという,学習レベルの到達度がはっきりしている。一方で,今の幼児期の教育・保育は,そういう点がすごく漠然としている。もう少しブレイクダウンして具体化すれば,質の担保といった議論が進むのではないかと思う。諸刃の剣のような感じはするが,分かりやすく質を上げやすいという面が大きいのではないかと思う。

 

〇定量評価と定性評価があって,定性評価すべきものを定量化してしまうと,それは本質なのかどうかと言われると,かなり難しいと思う。

 

〇ある程度枠を決めるという意味は,どこにいてもその教育が受けられるようにしようという意味なのか。確かに,幼稚園や保育園は,私立もあり公立もあり,予算がたくさんあるところもあればそうでないところもある中で,住む場所や通っている幼稚園によって,受けられるものが違ってくるというのはどうなのかと思う。

 

〇その点についても色々な考え方ができ,幼稚園・保育園,すべての園で担保しますという考え方があると思う。また,基準を達成したところだけを明確にして,後は親の選択に任せるという考え方やそういうことは一切やめようという考え方もあると思う。

 

〇幼稚園と保育園が同じかどうかというと,全く違うイメージを持っている。必要以上の問題が解けるようなことまで教える園もあれば,その時間預かるだけの園まで仮にあるとすれば,ある程度,ここまでやるというレベルがあると思う。強制かどうかも含めて,そういった基準を示して,ある程度のレベルまでやってもらうということはあっても良いと思う。

 

〇漠然とした基準を揃えようということであれば,幼児教育を支援するセンターみたいなものを設置して,モデルを示してやっていかないと,現状では,なかなか浸透させることは難しいと思う。広島県の現状を言うと,それを必要として大きく変えようという動きがないのが事実だと思う。

〇家庭教育の役割をあまり強調しすぎるなという意見があったが,今の実態としては,留守家庭子供会がどんどん広がっており,対象が3年生までだったのが6年生まで広がっているところもある。やはり,親がとても忙しく,家庭教育まで頭が回らず,なかなか難しいのではないかと思う。だからといって,学校でそれができるかというと,学校の先生の負担が大きすぎて難しい。今議論しているようなことについて,お互いに必要性は分かっているが,誰がやるのかということについての認識がされていないような感じがする。それを解決するために,地域の方の力を借りるということを実際にやっている地区はある。地域の社会協議会や社会福祉協議会の方が,幼稚園と小学校の子供たちの面倒は私たちも一緒に見ますよということで,頑張っておられる地域もある。学校教育でも,家庭教育でもできない,非常に重要な部分をどのように埋めていくのかということについては,トータルな議論が必要であり,具体的なイメージとして,それを体系化していくことが必要ではないかと思う。

 

〇多くの幼稚園で既に取り組まれていることと大きく変えるということでなくても,きちんとこれを県として指導しますということで,明文化するということは,多様である私立の幼稚園に横串を通す,あるいは,幼稚園と保育園のどちらに行っても,大きく違いのない幼児教育を受けられるという点で幼・保にも横串を通す,それを見えるようにして示すということで,現状とあまりにかけ離れたものではないものとして示すということはあっても良いのではないかと思う。

 

〇保護者が充実していると感じるとはどういうことかという前に,今どう感じているのかというデータがないように思う。制度的なことなどのデータはあると思うが,実際に,今,保護者がどう感じているのか,どういう点が充実していないと思っているのかという調査を,市や町をピックアップして,代表的なものとしてやってみてはどうかと思う。

 

〇現状として,中高一貫教育,小中一貫教育という流れは,色々な地域で出てきている。中等教育の分野はそういう事例を多く見るが,初等教育である,幼・保・小について,これを一貫して見るということが今まで薄かったように思う。幼小一環のような形が,公立幼稚園の数の絶対的な少なさという点から,なかなかそこに踏み込んでいけていないという面は,現状としてあると思う。

 

〇実際には,小学校での学力や学習状況,生活の状況など,課題は多くある。その課題の解決のために,小学校でも色々と取り組んでいるが,その根底にあるのが,小学校に入る前,就学前のところであるというのが今の課題意識である。色々と幼児教育の調査をしてみても,そのあたりに課題があり,基本的な生活やコミュニケーションの問題などは顕著に表れている。そのため,もう少し幼児教育をしっかりやっていく必要があるのではないか,行政として,どこまでどのようにしていけば良いのか,というのが今の問題意識である。

 

〇それは,幼稚園や保育園の教育や保育の問題なのか,それとも,家庭が変わってきたことによる,家庭の機能の低下が子供たちに繋がっているのか,両方なのか,広島県の現状としてはどうか。

 

〇家庭の状況は大きいと思う。小学校の多くでは,概ね「基礎・基本」の定着はできているが,定着ができていない子供も依然として数パーセントいる。そういう格差が生じているのは,まさにそういうシステムの問題の中に,家庭の問題が大きく関係するのではないかと思う。家庭内で子供と十分な対応ができない状況にある家庭に,行政として何ができるかということについて,現在,少し検討している。

 

〇今の点は,常に大きな問題であり,余裕がある家庭であっても,あればこそというか,そこに行政や教育機関が介入しようとしたときに,そのことがプライドや自尊心を傷つけられることになる。実際に行政側の関わり方も,すごく上から,親も教育してやる,指導してやるといった,ないものを埋めてやるというような感じになりがちなので,そこに家庭と行政との間で不幸な行動や関係性が生じてしまう。だからといって,放置しておくわけにはいかないので,困難を抱えている,あるいは不十分な家庭と行政のインターフェースをどうするかということになると,考えられるのは,行政側は姿勢を変えて,お前たち指導してやるというのではなく,私たちに任せてください,大丈夫です,安心してくださいというような姿勢で語りかけていくこと以外にないと思う。

〇色々な調査で,例えば,幼い頃に親に読み聞かせをしてもらったかどうかというのは,その後の学力やリテラシーにかなり影響する。そういうことができない親,余裕のない親がいることから,学校及び学校外で手厚く補うべきだと思う。そういうことをきちんとやりますと示すことが,“充実”ということをアピールするにはとても大事だと思う。

 

〇最近の傾向として,幼稚園に入る前の“プレ幼稚園”に行きたいという親が多くなっている。自分が子供を見るよりも,そういった所へ行ったほうが良い子に育つのではないかと考え,少しでも早く幼稚園や保育園に入れたいと言っている親は多い。一方で,2歳児までの8割は家庭で育っていると聞くが,そういう人たちは,子育て広場などを利用することが多い。そういう場を上手く活用して,そこから幼稚園に繋げる,子供たちの支援をするということもできるのではないかと思う。

 第2回懇談会の概要 (PDFファイル)(320KB) 

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