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第7回広島県障害児教育基本構想策定委員会の概要について

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日時

平成14年3月26日(火曜日)14時00分~16時00分

場所

県庁北館 第1会議室

出席者

大下,川本,桑原,澤崎,田口,谷本,竹林地,永井,松木,森山(欠席:平賀,宮河)

協議内容

答申(案)について

資料

第7回広島県障害児教育基本構想策定委員会資料(PDF36.9KB)

意見交換要旨

 (○は委員,△は事務局)

○本日は,答申(案)の審議を行う。先ほど,資料の確認をした。資料に沿って審議を進める。
まず,パブリックコメントの集約から始める。パブリックコメントについては,専門委員会の意向を受けて,集約の実務は事務局にお願いした。したがって,事務局から説明していただく。

△本委員会から提示した「中間報告」への意見募集を2月8日から2月22日までの15日間行った。県民の皆様,また,県外からも意見をいただいた。電子メールと郵送で512件の意見が届いた。意見の集約方法等については,「県政パブリックコメント手続きに関する要綱」に沿い進めた。方針については,専門委員会で協議され,事務的な作業は,事務局で実施した。
まず,パブリックコメントの基本的な考え方から確認する。パブリックコメントは,策定委員会が教育長に提出した「中間報告」に対して,広く意見を募集するものである。したがって,意見内容を吟味し,答申に盛り込む必要があるものについて検討していくこととなる。
 次に,意見に対しての「回答」について説明する。回答についての基本方針は,「パブリックコメントは,あくまでも意見を募集するものであり,回答は必要とされていない。しかし,回答することを否定するものでもない。パブリックコメントの実施主体が判断する」ということである。
 既にパブリックコメントを実施している文部科学省の状況を確認したが,回答しているものと,回答していないものが存在した。また,回答している場合も,意見数が少ない場合に個々に回答しているものと,意見をいくつかにまとめ回答しているものが存在した。
 今回の,本委員会「中間報告」の意見に対しては,個々に回答することは考えていない。本日の委員会での説明及び審議をもって回答とする方針である。
意見集約の基本的な考え方について説明する。それぞれに書かれている内容を,中間報告の項目に沿って,概ね「支持的」「非支持的」「その他」に分けた。一人の意見に,複数の項目に渡って記載があったり,「ある面は支持できるが,ある面は非支持である」といった状況が多くあった。中間報告の項目に従って,内容毎に意見が取り上げられるようにした。
寄せられた意見の中に,官製ハガキの裏面に記入するための様式が印刷され,ほぼ同一の項目について,ほぼ同一の意見が書かれているものが,意見全体の約7割あった。したがって,数が多い少ないではなく,意見の内容で整理した。
最後に,公表内容について説明する。公表内容は,実施主体が決定していくこととなっているが,先例を確認したところ,「全意見数」と「意見をまとめた形での内容」の公表であった。したがって,今回の場合も,「全意見数が512であった」ことと「本日の集約冊子」を公表資料とする。

○事務局のほうからパブリックコメントの集約と,それをどう公表していくかについて説明があった。
 その,パブリックコメントの集約に基づき,「中間報告」にどのように取り入れて,修正したり加えたらいいのか,ということについて専門委員会で十分審議をした。答申(案)について,専門委員会から説明し提案する。

○全体構成について最初に説明する。「中間報告」では,「はじめに」に続いて「1 障害児教育の現状と課題」という項を設けていた。その中に「国及び本県における状況」についての記述をしていた。答申(案)では,これを,「はじめに」の中に含めて書いている。
このようにした理由は,本来「現状と課題」という中身について障害児教育全般にわたって記述をしていくには,多くの論議とページ数が必要となるとの思いがあった。この委員会では教育長から諮問されている項目について中心に検討を行い,その回答をこの報告書の中に盛り込むことが基本と判断した。
大きな意味で,本県の課題と全国的な現状及び課題,今後求められている内容といったものを込めて,この「はじめに」という中にまとめた。「はじめに」以降は「1 基本構想策定の視点」「2 今後の障害児教育の基本的方向性」「おわりに」と「中間報告」と同様である。「参考資料」は,「答申」に補助資料,参考資料として付け加える。
内容について,「はじめに」から説明する。答申(案)では,1ページ目となる。パブリックコメントの集約では,「はじめに」に関わる内容は全体にわたっているので,複数のページにまたがっている。
 パブリックコメント集約の2ページには,非支持的意見として「インクルージョンとかノーマライゼーションの理念が含まれていない,共育共生の視点に立ってほしい」がある。支持的意見では,1ページの上から2番目にあるように「広島県においては,過去,障害児教育は不要であるというような論がまかり通っていた。盲・ろう・養護学校の存在さえ知らないという状況が続いていた。断固とした施策を実行してもらいたい」とある。また,教育内容や方法についても学校の実態を例に挙げながら変化を求める意見もある。
 4ページには専門性に関する意見がある。「専門性を求めて養護学校を選択したけれども,一部の熱心な教員の個人的な指導に頼るしかなかった。専門性を否定する教員もいた」「人権学習,平和教育に力を入れて,養護学校の専門性がない」「訪問教育の子どもに応じた専門性に基づくカリキュラムがない」とある。また,「必要とする教育課題の中身や内容が違う子どもたちが一つの集団の中で学習していて,専門的な指導がなされていない」という意見も寄せられている。
 こうしたことを踏まえ,「はじめに」の中にどう表現していくかを検討した。国の施策としても,ノーマライゼーションという理念の実現に向けての取組みがなされている。本委員会においても基本的なスタンスは,その枠組みを外れるものではない。したがって,答申(案)の1ページ目の「はじめに」の第2段落に,「一方,国においては,平成5年12月に制定された障害者基本法に基づき,教育,福祉,労働などの各分野にわたってノーマライゼーションの理念を実現するための取組みが進められている。また,近年,障害児教育においては,……」と国の施策について記述した。
 続いて,1ページのその後の「このような状況を踏まえ,……」という所は,「中間報告」以降の本委員会及び専門委員会の流れについて記述している。中程に1行空けて記述した部分は「中間報告」を提出するまでの経緯についてまとめている。
 最終段落は,「中間報告」以降の1回の本委員会と3回の専門委員会による協議を経て答申をとりまとめたという経緯についての記述をしている。
 「ノーマライゼーションの理念を実現するための取組みが進められている」ということを記述した考え方は,パブリックコメントの意見を踏まえ,ノーマライゼーションの捉え方をしかっりと位置づけておく必要があると専門委員会で判断したからである。
 この答申(案)を通じて一貫して述べている内容がある。それは「このような課題を解決するために求められるものは,障害のある幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズに応じて能力や可能性を最大限に伸ばすための教育を行うこと」ということである。学校教育の枠組においては,ノーマライゼーションの理念の実現には,教育的なニーズを的確に把握し,それに対してどう内容・方法を整えるかの視点が必要であり,パブリックコメントの非支持的意見にあるような,通常学校に在籍をするということのみがノーマライゼーションであるという考え方は一面的であり適切でないことを明確に示しておく必要があるとの判断である。2ページ以降に関しても,そういった理念,考え方に基づいた記述をしている。
 2ページの「障害児教育基本構想策定の視点」に移る。パブリックコメント集約では1ページの「基本構想策定の視点」に意見がある。
 支持的な意見では,「視点が理解できる」「学習指導要領などの改訂に伴った小・中学校の学習指導要領の中に明記された交流教育について,留意事項を含めて掲載する必要があるのではないか」「交流教育が進展することを望むとともに,一部で実施されている計画性のない場の共有だけの交流の是正を望む」とある。
 非支持的な意見では,「能力や可能性を取り上げることは,障害の克服,軽減のみにとらわれているとしかいえないのではないか」「障害は負のもの,欠陥,直すべきものという障害観が根底に流れていて,障害者に対する差別意識の本質である」「健常者中心の発想で,近づける教育が障害児教育とはいえないのではないか」「基本的な考え方に逆行する内容なのではないか」とある。
 その他としては,「我々が努力すべき理念を示してほしい」「全過程を視野に入れた論議をしてほしい」とある。
これらを踏まえて2点付け加えた。関係箇所を読む。「障害児教育については,障害のある者も障害のない者も同じように社会の一員として社会活動に参加し,自立して生活することのできる社会を目指すというノーマライゼーションの理念に基づき,その充実を図ることが必要である」これは,「21世紀の特殊教育に在り方について」にも盛り込まれていた内容であり,ここに明言化した。
 本県の現状を省みて,この理念に関して先ほど説明したように,一面的に捉えられていた現状についての記述を入れた。教育の中身がしっかり検討されていく中での教育の場の議論よりも,まず,どこで教育を行うかという議論が先行する状況がみられたことを記述している。
 続いて「将来,社会的に自立し,社会参加することができるよう・・・」とある。これはノーマライゼーションの理念にも通じる所である。「そのような教育内容の創造が十分に行われず,結果として障害児教育における専門性が軽視されてきたという状況がみられた。また,こうしたことが,本県の盲・ろう・養護学校の卒業者の就職率が全国平均と比較して10ポイント以上低いという状況にもつながっていると考えられ,社会的自立,職業を通じての社会参加という点での課題となっている」と記述した。
 数値については,参考資料を参照していただきたい。もちろん,就職率のみをもって障害児教育の専門性が低いと言えない部分もある。しかし,少なくとも本県が基本的に抱える課題は,全体的に専門性を高めることによって,障害児教育の在り方そのものを的確にこれからの時代に向けて位置づけていく必要があるということである。
 最後のところに「交流教育」について,新たに小・中・高等学校の学習指導要領の中に明記されたことを記述した。「交流教育」を組織的,継続的に取組む必要があることが新学習指導要領に記述されている。もちろん,盲・ろう・養護学校の学習指導要領にも記述されている内容である。新たに小・中・高等学校の学習指導要領に明記された意義を踏まえて記述した。

○「はじめに」と「1 障害児教育基本構想策定の視点」について説明があった。意見,質問をお願いする。

○(1)の「能力や可能性を最大限に伸ばす教育」の所は,ずいぶん書き加えられて具体的な記述になっている。読みやすく,趣旨がずれなくなっており,この加筆はいいのではないかと思って読んだ。
 (2)の「生きる力を培う教育」の所で「交流教育」のことが書かれている。「学習指導要領にも明記され」とあるが,学習指導要領よりも解説書のほうが非常に詳しく書かれている。さらに,小・中・高等学校の総則に関する解説書の方が,盲・ろう・養護学校の解説書よりも,交流についての留意点とか方向性等がはるかに具体的に書いてある。意義は学習指導要領の所でいいと思うが,解説を読んでいただきたいと思っている。

○詳しく書いてあるのは解説のほうである。「参考資料」に内容を掲載し理解が深められるように考えたい。

○(1)で文章の中に「過去,ノーマライゼーションの理念が一面的に捉えられて,教育の場の論議が先行している」とある。例えば,保護者同士の間でも障害児学校を選んだ親に対しての批判,逆に,地元の学校を選んだ保護者に対する批判が飛び交っている,との実態を伺ったことがある。
 教育の場というのが問題ではなく,どこの教育の場,すなわち地元の小学校においても,その子の教育のニーズに合ったものを考えていく,障害児学校においても,それぞれのニーズに合った考え方をしていくことを目標としていると捉えていいのか。

○専門委員会での議論の経緯とか中身について少し説明する。「教育的ニーズに応える」というのは,具体的にはどういうことをやればいいのかということが議論になった。
 大事なことは,前提として学校にその子どもさんが位置づくときに,必要としているものは何なのかということをしっかり把握をしていくことである。さらに,就学をしたら,それだけでもう終わりなのだということではなくて,学習活動などを行っていくプロセスの中で,学習に対する取組み,あるいは中身に関する振り返り,いわゆる「評価」を一人一人に応じてやっていく,そして,それが,また次の指導につながっていくという流れが,一連の教育活動の全体を通じて行われるべきだ,との結論となった。
 「評価」を踏まえた取組みは,決して障害児教育だけの動きではない。新学習指導要領が,小中学校において4月から完全実施になるが,相対評価から絶対評価への切り替えが取組まれている。これは,子どもたち一人一人が学習活動の目標に照らしてどこまでその目標が達成できたのかということを,学習過程の途中で,そして,学習活動が終わったあとで,それぞれ継続的に常に教師が振り返りながら子どもたちの学習活動を考えていくということである。
 障害児教育においては,個別の指導計画がある。一人一人の子どもさんの状態に応じて,指導内容を立案する。計画を立てるためには事前の評価をし,それに基づいて学習活動を展開し,その活動の中でどうだったかを常に振り返り,そして,最終的な評価を行う。それが,また次の計画に反映される,という流れが求められている。
「教育的ニーズに応じた」という言葉は,先ほどの質問にあったように,常に一人一人の子どもさんが必要としているものを明確に位置づけながら実施される教育を考えている。

○答申(案)の3ページ「(1)障害の種類,程度に応じた適正な就学指導について」説明をする。パブリックコメント集約は2ページ目である。
 「中間報告」では,「障害の種類,程度を的確に把握し,一人一人の教育的ニーズに応じた」とあったが「障害の種類,程度や保護者等の意向等を十分に把握して,一人一人の教育的ニーズに応じた適正な就学指導を実施すること」とした。
 従前より,就学指導委員会は,幼児児童生徒の障害の種類が何であるとか,程度がこの段階であるという一面のみで就学上の判断をするのではなく,総合的な判断をすることは明記されている。本県においては,専門的な立場からの把握や判断を行う体制・制度が整っていないという面があった。今後は,その面も踏まえ就学指導委員会を充実する必要があり,保護者の方々などの意向等が十分に把握でき,それが情報として提供されるシステムが必要であるということで記述を加えた。
 アでは「専門的な立場からの調査や審議を行って,教育委員会に助言を行っている」と制度の補足説明を加えた。続いて「適正な就学指導を行うためには,保護者等への十分な情報提供に努め」を加えた。
 イの「相談支援体制」について説明する。就学指導という言葉が,ともすると,就学をするまでのものである,つまり,どこに就学するかを決めて終わりというような受け止めをされていた傾向がある。教育的なニーズに応じて対応していくためには,早期からの相談と支援が適切に受けられる体制が必要であり,その相談と支援の蓄積の上に就学の相談を実施することが望ましい。また,就学段階だけに限らず,入学後も相談と支援が受けられるという視点が必要と思われる。そこで,相談支援体制を整備し,また,保護者等に対しての情報提供を十分に行うということを記述した。
 就学指導委員会と相談支援体制との関係については,「整備された相談支援体制との連携を図ることにより,幼児児童生徒の障害の状態や保護者等の意向等を十分に把握することが可能となり,早期からの相談や支援の状況等も参考として,より適正な就学指導を行うことができる」とした。
 相談支援体制を整えることによっての効果について「保護者の相談に応え障害のある乳幼児が早期から教育,福祉,医療等の関係者から適切な支援を受けることを可能とし,その能力や可能性を最大限に伸ばす機会を広げていくことになる」とした。
 パブリックコメント集約には,2ページ目の下の所になるが「身近に相談する所があったら,もっといろんな情報にふれることができるのではないか。もっと見通しがもてるのではないか」「教育,福祉,医療が一体となった体制をつくってほしい」との意見があった。
 非支持的意見では「障害の種類,程度に応じたは,隔離していくのではないか」「インクルージョン,ノーマライゼーションの理念が含まれていない」とある。
 全体に通じる考え方として,「はじめに」でも述べたが,一人一人に必要な教育的内容を把握し,教育内容・方法との関連を重視している。

○質問,意見をお願いする。今,すぐなければ後ほど全体への質問,意見の時間にお願いする。

○後半の審議に入る。

○まず最初は,「総合型の養護学校」について説明する。答申(案)の4ページ,パブリックコメント集約の2ページの下段を見ていただきたい。
 この4ページについては,多くの修正を行っていない。「総合型の養護学校」について,支持的意見では,個に応じた指導を求める意見や福祉,医療との連携求める意見が多く寄せられている。上の囲みの所で,教育と医療と福祉の並びの統一を図るために「教育,福祉,医療」としている。
 非支持的意見においては,「総合型の養護学校は必要ない」とあった。本委員会においては,本県養護学校在籍児童生徒の状況が,重度化・重複化,多様化しており,実際に重複障害児が養護学校に在籍しているという状況を踏まえて,それぞれ一人一人の教育的ニーズに応じた教育内容・方法の創造が必要であるとの論議を進めてきた。委員会においては、「総合型の養護学校」の設置の必要性を否定する意見はこれまでになかったので,基本的に「中間報告」の方向性のままである。
 パブリックコメント集約のその他の所で「先生方の専門性が確立したあとではいけないのかと思う」並行して「先生方の専門性を確立してほしい」という意見がある。この意見は真摯に受け止めなければならない。設置の時期ということに関連してくると思われる。
 「高等養護学校」については,パブリックコメント集約の3ページを見ていただきたい。
 支持的意見においては,保護者等から軽度の障害児へのきめ細かな支援や職業指導の充実を求める意見が寄せられている。
 非支持的意見においては,「障害者の間で能力的分断を進めるということは容認できない」とある。
 その他の意見については,先進校の情報を取り入れる必要性,入学時の課題,教育内容への意見,そして,現在の高等部を充実することの必要性を訴えるものがあった。
 専門委員会では,設置の必要性の理由を明確にするために,4ページのイの所の下線部のように,「現在,養護学校高等部卒業生の就職率が低いという課題も踏まえ」と本県の就職率の実態を付け加えた。
 「盲・ろう・養護学校の適正配置」については,答申(案)の「はじめに」でも述べているが,養護学校教育の義務制実施の整備から20年余りが経過し,状況は変化してきている。教育効果の観点から,この現状を見直し,適正配置が必要になってきているのではないかということである。
 「特殊教育教諭免許状取得の推進,研修の充実など,教員の専門性の向上について」は,答申(案)の5ページ,パブリックコメント集約は4ページから6ページにかけてとなっている。「教員の専門性の向上」ということについては,多くの意見が寄せられた。基本的には専門性の向上ということについて大きな課題意識が伺える。
 支持的意見として,保護者から学校の状況を具体的に挙げながら,専門性の向上を訴える内容が多くあった。
 非支持的意見としては,そもそも専門性とは何なのか,免許の取得ということがどういう意味を持つのか,という点からの指摘があった。
 5ページの答申(案)においては,参考資料でも掲載しているが,本県の免許取得率の低さの分析を加えるとともに,本年度の教育センターの研修講座の受講率の向上,さらには,認定講習の県内参加者の増加状況を数値で具体的に説明する内容を加えた。
 「これまで本県において専門的な研修や免許取得の意義を軽んじてきたことから」と,これまでの経緯をもう少し具体的にふれた。一方では,研修意欲の向上がみられるということを具体的に述べた。「本年度,盲・ろう・養護学校教諭の教育センター研修講座の受講率が,昨年度に比して16倍に達するなど,専門性という点での意欲の高まりというきざしは見られるものの」とした。同じく認定講習についても,「本年度は,この認定講習への県内参加者が昨年度に比して1.5倍に急増するなどしている」とした。
 字句の訂正として「参加体制」を,「参加態勢」とした。

○質問,意見をお願いする。

○免許状の保有の向上という点に関しても,「21世紀の特殊教育の在り方について」の中で,今後の課題であることが明確に謳われている。もちろん,免許を取ればすべて終わりではないというのは,この本委員会の議論の中でもあった。免許の取得はあくまでもスタートラインであり,さらに研修を積むことは当然でと考える。少なくとも勉強していただく必要があるということと思う。

○続いて提案をお願いする。

○答申(案)6ページ,パブリックコメント集約7ページを見ていただきたい。
 この「その他障害児教育の推進に関すること」については,概ね支持的な意見が多く寄せられている。
 「交流教育」の項目を初めに挙げているので,「交流教育を推進するため,次の事項に取組むこと」と見出しを加え,内容を「交流教育については,意義を踏まえ組織的に計画的・継続的な実施に努めること」とした。
  答申(案)7ページの上のほうに,学習障害(LD)の定義については既に述べていたが,現在の本県の状況について,説明が必要と思い記述を加えた。
 「現在,本県では文部科学省の委嘱を受け,学習障害(LD)児の指導体制充実事業を推進している。また,教育センターにおいても,2年間にわたり実態把握の在り方や,学校支援システムについて研究を進めている」と今実施している内容を加えた。
 「交流教育の推進」という項目をより具体に挙げた。ここでは,「交流教育」についての考え方をまず最初に挙げ,続いて具体的な進め方について述べた。
 「交流教育は,同じ社会に生きる人間として,お互いを正しく理解し,共に助け合い,支え合って生きていくことの大切さを学ぶ場である。障害のある幼児児童生徒が,経験を広めて積極的な態度を養い,社会性や豊かな人間性をはぐくむために,新たに小・中・高等学校の学習指導要領に明記された意義を踏まえ,交流教育の効果的な推進が求められる」を付け加えた。

○6ページ及び7ページを通して,意見・質問をお願いする。

○この一連の審議が進み,ホームページ上で公開される中で,学校の中でも諮問項目を中心として,今後の障害児教育をどう進めていくかというような議論が最近ずいぶん活発に進んでいるように思う。
 今後,議論になってくるだろうと思われる一つが,専門性だと思う。「個別の教育的ニーズ」という言葉が,「21世紀の特殊教育の在り方」にかなりたくさんキーワード的に使われている。このことの認識が一ついると思う。このことと,専門性との関係が大きいのではないかと思う。
 象徴的な表現だと思うが,パブリックコメント集約の中で,4ページの所に,「専門性を強調すれば生徒不在になる」と書いてある。私自身も,専門性というのは,ずいぶん奥の深いものだと思う。したがって,その専門性を強調すれば生徒が不在になるというような専門性を,少なくとも我々は専門性とは言わないというような認識が一ついるのではないかと思う。我々は,そういうものを専門性と言っているのではないということである。
 関連して,免許のことについても,5ページの所に,「免許の取得は専門性の向上にはつながらない」という断定がある。それから,「免許状があることで,どれだけ本人,保護者に応えることができるのか」ともある。免許取得のことも,専門性の指標の一つとして論議してきた。免許の取得のみによって本人・保護者に応えられる,というような論議は一切していない。そのようなことを論議しているのではない。
 右の「その他」の所に,「免許の取得は必要条件ではあるが,決して十分条件ではない」という意見がある。これは合っていると思う。
 今後,県の教育委員会の施策として,専門性の向上というテーマで,いろいろな手立てを講じられると思うが,専門性の中身を,十分吟味をして捉えていく必要を感じる。「専門性をいうと生徒不在になる」というような議論には一切組みしたくないというか,専門性というのはそういうものではないのだという確認が必要ではないかと強く思う。

○今の意見は,専門委員会の中でも何度か議論として採り上げた内容でもある。
 具体的に文言として盛り込むこと自体は大変むずかしいが,理念として,この答申(案)の中に流れているものとして伺った。

○専門性を持った教員ということについて,今の発言と関連して意見を述べたい。子どもたちは先生を選ぶことができない。したがって,先生は,自ら教育に対する研修をしておかなければならない。しかしながら,どのぐらい研修をしておられる先生なのかということは,子どもたちやその保護者はわからない。したがって,社会的な認知に耐える障害児教育に携わる先生を養成するために,また,その認知の度合いを計るために専門性があり,そして,その免許資格があると捉えるべきであると考える。

○専門性は,子どもに携わる教員に大切なことと思う。もう一つ思うのは,教員の世界があまりにも狭すぎるように見える。特に養護学校の場合は,養護学校の中しか知らない方が多いのではないかと思う。もっと広い世界,広い視野に立って教育現場をみていただきたい。他県の話なのだが,障害児学校の先生は他校の普通校を歴任して障害児学校に来られるという話も聞いたことがある。他を経験して初めて障害児教育がわかるということもあると思われる。

○「開かれた学校づくり」あるいは「校内での研修・研究体制の充実」こういったことも広くいえば先生方の世界あるいは視野を広めることにつながると思う。

○少々乱暴な言い方かもしれないが,広島県の障害児教育に携わっている先生方には専門性を持っていない方が非常に多くおられると感じている。他府県に行くと専門性を持っている先生方はたくさんいる。
 たとえば,知的障害者の場合を考えると,「合科・統合の学習」という学習形態がある。その中に,生活単元学習とか作業学習などがある。そして,新学習指導要領では総合的な学習の時間の取組みが始まった。そういうことを全く知らない先生が障害児教育に携わっているという状況がある。
 保護者は専門性の高い障害児教育を望んでいる。しかし,専門性に則った教育がなされないために失望をされる。そういう事例を多く聞いている。
 ここでいう専門性とは,一人一人の教育的ニーズに応じて十分研修し教育に携わる姿勢である。そのことによって信頼に応えていかなければならないと思う。
 そういう意味で,免許状の取得も大事になってくるし,研修もさらに積んでいただきたいと日ごろ感じている。もちろん,勉強されている先生もいらっしゃるが,そうでない先生方がたくさんおられる。

○最近,アナウンサーの話を伺ったときに,「むずかしい事をむずかしい言葉を使って説明するのは簡単で,むずかしい事を簡単に誰にでもわかるように説明するというのは,私たちの仕事では大切なのだ」と言われ,なるほどと思った経験がある。
 その「誰でもわかるように」ということで言えば,「領域・教科を合わせた指導」をどう説明できるかということだと思う。これは,知的障害のある人の教育に強く関わる内容である。ある知的障害教育の研修参加者に質問をした。問いの内容は,「皆さんのクラスの時間割を書いてほしい」というものだった。回答の中に,「領域・教科を合わせた指導」をさらに合わせる時間割があった。大変驚いた。学習指導要領上でいえば,各教科と道徳,特別活動,自立活動,総合的な学習の時間がある。この各教科と道徳,特別活動,自立活動とを合わせた形で,実際の生活を通して,具体的な活動を通して指導することを「領域・教科を合わせた指導」としている。その代表的なものが,生活単元学習とされている。その生活単元学習と図画工作を合わせた指導を考えている方がおられた。教育課程について簡単に説明することは非常にむずかしいと改めて思った。
 知的障害養護学校の持っている教育課程のむずかしさは,確かにあると思う。それを保護者や,保護者以外の方にでも,簡単に説明できることが大変大切だと思っている。
 3ページに,「保護者等への十分な情報提供に努め」と書いてある。とても大切なことだと思う。情報提供というのは,単に学校のパンフレットを配るとか,学校の指導計画を見せるとか,それだけではない。それがどういう考え方で,どういう中身を持っている,さらに,その結果どういうふうなものを目指しているのだ,ということをわかるように話すことができなければならない。
 「十分な情報提供に努める」ということは,保護者が納得できるということが重要である。この学校に行ったら,このような教育があるのだということが正確に伝わらないとだめだと思う。それと同じことが,7ページの「開かれた学校づくり」でも言えると思う。
 現在,全国の盲・ろう・養護学校を対象にして,教育課程の調査を実施している最中だが,知的障害養護学校では,合わせた形の指導を行っているところが多いと一般的にはいわれている。障害児教育の特色の一つである「自立活動」の全国調査が実施され,速報値が出ている。盲学校,ろう学校,肢体不自由の養護学校,病弱の養護学校の校種において,6割から7割近くは知的障害養護学校教育の教育課程を持っているという状況である。肢体不自由の養護学校では,いわゆる学年に準じた教育課程の割合よりも知的障害養護学校の教育課程の割合が多い。それらの学校が,教育課程についてどういう説明をしているかについては,かなり課題が多いと感じている。
 「開かれた学校づくり」のテーマで,2月の初旬に,関東地方の養護学校に行った。公開研究会で進路先の企業の方が20人近く来られていた。その研究会に企業の方に来てもらって授業を見てもらう。それ以外に分科会のテーマごとに参加していただいて意見を言ってもらうという場を作っていた。
 うまく説明すること以上に大切なのは,外部の意見をしっかり聞くことだと思う。自分たちの教育内容を適切に示して,それに対して意見を聞くということも,「開かれた学校づくり」の大きい点ではないかなと思う。
 全体的に言えば,うまく人に伝えるということと,周りからの意見をよく聞くということが,大変大切ではないかと思う。

○最後の8ページについての提案をお願いする。

○「おわりに」の並びとしては,国,本県,そして,この策定委員会の性格を「はじめに」と併せた形で述べ,後半を付け加えた。
 この委員会で私どもが議論した内容を県の教育委員会に対して,今後のビジョンあるいは具体的な施策で生かしていただきたいという要望をここに付け加えた。また,教職員に対しても,障害児教育推進の担い手として頑張っていただきたいと望んだ。さらには,この障害児教育を県民すべてのものとしていただきたいということで,県民参加の呼びかけと広報の要望,そして,私たち委員の決意を最後に書き加えた。この書き加えの部分を読む。
 「この基本構想を,県教育委員会において策定される「障害児教育ビジョン」に生かされるとともに,今後の施策に反映させていただきたい。また,今後の施策が各学校でどれだけ実践できているのか,保護者及び県民の要望に応えることができたのか,ということについて検証し,さらに専門性の高い教育の提供に努力していただきたい。本人,保護者及び県民に信頼される障害児教育を実現していくためには,教職員の幼児児童生徒に対する愛情と理解,熱意が重要であることは言うまでもない。教職員一人一人は,この答申の趣旨を十分理解し,専門性に基づくきめ細かな教育の推進の重責を担っていただきたい。教育は学校や家庭のみならず,県民総参加で取組むことが重要である。本県障害児教育の充実・発展の方向性を広く県民に理解していただき,協力・支援をいただけるよう,この答申や「障害児教育ビジョン」の積極的な広報を望む。策定委員会の委員も,今後とも県民の一人として,障害児教育の充実・発展に支援をしてまいりたい」このようなメッセージを最後に付け加えた。

○全体を通して質問,意見をお願いしたい。

○本策定委員会に医療の側から参加をさせていただいた。この答申(案)に「教育,福祉,医療」と「医療」の視点をしっかり入れ込んでいただいた。本当に感謝を申し上げたいと思う。障害児教育の中の医療についてビジョン策定でも重視していただきたい。

○「中間報告」からかなり変わった箇所もあり,また,わずかな修正で済んだ部分もある。それぞれ専門委員会からの提案について,意見をいただいた。
 何箇所か最終的に詰めていく部分もあるので,「答申」については,「中間報告」と同様に,専門委員会に一任をいただきたい。
熱心な審議にお礼を述べる。

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