【解説】
平賀氏は,文永11年(1274)の文永の役(元寇)を契機に出羽国平鹿郡から高屋保へ新補地頭として入国し,慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで領国を失うまで当地で勢力をもっていた。
墓地がある場所は,『芸藩通志』では廃明道寺跡と伝えられ,平賀弘保,隆宗の墓など数多くの宝篋印塔,五輪塔が残っている。
名称 | 平賀氏の墓地 | |
---|---|---|
よみがな | ひらがしのぼち | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 東広島市高屋町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和44年4月28日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時一般公開 | |
交通案内 | ||
関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |