【解説】
惟清(これすが)は名を又十郎といい,文運の盛んな竹原の町に紺屋を営んでいた。和歌をよく詠じ,天明3年(1783)77歳で没した。その子春水(山陽の父)・杏坪(きょうへい)は,ともに学者として名高く広島藩の儒官となった。また二男の春風は竹原の家を継ぎ,医業をこととした。今日,竹原の旧宅は,頼家発祥の地として旧状を保っている。旧宅は,重層,屋根入母屋造,本瓦葺の主屋と,南に接する単層屋根,切妻造,本瓦葺の離れ座敷からなっており,双方とも塗籠造(ぬりごめづくり)である。主屋の道路側八畳の間が紺屋の店であったものと思われる。
名称 | 頼惟清旧宅 | |
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よみがな | らいこれすがきゅうたく | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 竹原市竹原町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和32年9月30日 | |
構造形式 | 母屋/重層屋根入母屋造,本瓦葺,塗りごめ造 離れ座敷/単層屋根切妻造,本瓦葺,塗りごめ造 |
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法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○JR「竹原駅」から北へ約1km ○山陽自動車道「河内I.C」から南へ約12km ○広島空港から南へ約16km |
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関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |