【解説】
南北朝の争乱に当って毛利貞親(さだちか)(安芸吉田庄地頭として入封した毛利時親の子)親衡(ちかひら)父子は,南朝方について忠勤を尽した。ことに親衡は,足利直冬や征西将軍懐良(かねなが)親王と気派を通じ,吉田庄を中心に気勢をあげた。
寺原城跡は興国2年(1341)及び正平22年(1367)に親衡が拠った所で,大朝庄の地頭吉川実経(きっかわさねつね)らに攻略された。
与谷城も親衡が観応元年(1350)と正平22年(1367)に拠った城で,最後に吉川実経に攻略されている。
猿喰城は観応元年(1350)親衡に呼応した山県為継(やまがたためつぐ)・壬生道忠(みぶみちただ)の本拠で,安芸国の守護武田氏信(たけだうじのぶ)によって攻略された。
名称 | 寺原・与谷・猿喰城跡 | |
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よみがな | てらばら・よたに・さるばみじょうあと | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 山県郡北広島町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和18年3月26日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○中国自動車道「千代田I.C」から南東へ約7km | |
関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |