【解説】
楢崎正員(まさかず)は,元和6年(1620),三原市西町のそろばん製造業を営む楢崎家に生まれ,家業に専念した。延宝元年(1673),54歳で京都に上り,山崎闇斎(やまさきあんさい)の門に学び,学の奥義を究めて帰郷し,三原城主浅野忠義(あさのただよし)の知遇をえた。元禄9年(1696)に77歳で没し,大善寺に葬る。翁は晩年須波に隠居したが,この地の東風の強いのをみかね,私財を投じて波塘(はと)を築き,海運の便をはかった。今日その遺跡は翁の善功を伝えている。墓所,屋敷跡,波止が指定されている。
名称 | 楢崎正員之墓及関係遺跡 | |
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よみがな | ならさきまさかずのはかおよびかんけいいせき | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 三原市西町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和17年6月9日 | |
構造形式 | 楢崎正員の墓,須波屋敷跡,須波波止場 | |
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○JR「三原駅」から南西へ約900m(墓) ○JR「須波駅」から西へ約100m(屋敷跡) ○JR「須波駅」から東へ約200m(波止場) |
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関連施設 | 名称 | |
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休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
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