【解説】
足利尊氏が京都に幕府をたてて間もない建武3年(1336)6月に,青目寺(しょうもくじ)別当弁房らとともに備後国の南朝方の中心人物であった竹内兼幸(たけうちかねゆき)が拠った有福庄内の山城であるが,山内氏・長谷部(はせべ)氏などの攻撃を受けて落城したと伝えられる。
また,天正9年(1581)に有福元貞が毛利輝元から「有福要害」の普請と番衆の入城を命じられたことが確認される。
名称 | 有福城跡 | |
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よみがな | ありふくじょうあと | |
指定 | 県指定 | |
種別 | 史跡 | |
種類 | ||
所在地 | 府中市上下町 | |
員数 | ||
指定年月日 | 昭和16年3月10日 | |
構造形式 | ||
法量 | ||
公開状況 | 常時公開 | |
交通案内 | ○JR「上下駅」から北東へ約1km | |
関連施設 | 名称 | |
開館時間 | ||
休館日 | ||
入館料 | ||
所在地 | ||
電話番号 | ||
交通案内 |