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広島県の文化財 - 亀山弥生式遺跡

亀山弥生式遺跡

【解説】
神辺平野の中央やや北寄りに標高37mの亀山の独立丘陵があり,遺跡はこの丘陵(東西約250m,南北約350m)のほぼ全域に広がる。なお,史跡指定地はこの丘陵の南半部を中心とする地域である。
過去に昭和32年(1957)の日本考古学協会による発掘調査,昭和56~60年(1981~1985)の広島県教育委員会・県立埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われ,次のような成果が明らかになった。

○弥生時代前期の環濠(かんごう)
丘陵上には弥生時代前期(紀元前3世紀~紀元前2世紀)の三重に巡る環濠が確認された。それら三重の環濠は一度に掘られたのではなく,内側の空間の範囲を拡大するように順次掘削されたものであるが,弥生時代中期には全て埋没していたことが判明している。農耕文化とともに大陸あるいは北部九州から伝播した農耕集落構築の一形態を示す,この地域の農耕社会の本格的成立期の代表的な遺跡と考えられる。

○広島県東部の弥生時代前期~中期前半の土器の指標
遺跡内の遺物包含層の下層からヘラ描きの沈線文や突帯をめぐらす弥生時代前期後半の土器が出土,その上層では櫛描き文様の弥生時代中期(紀元前2世紀~紀元後1世紀)前半の土器が出土した。弥生時代前期の土器については形態的特徴からさらに文様や整形技法の変化を追うことができ,広島県東部の弥生時代前期から中期前半にかけての土器の型式変化の指標となっている。
 
○その他
環濠の内側からは,弥生時代後期(紀元後1世紀~2世紀)の竪穴住居跡や前期~後期の貯蔵穴などの遺構がみつかっている。出土遺物は,土器のほか多量の石鏃(せきぞく),刃器,磨製石庖丁,鑿(のみ)形石斧,環状石斧,磨製石斧などの石器が出土している。
丘陵頂上部では古墳2基が確認されている。北頂部の第1号古墳(径28m)からは割竹形木棺をもつ粘土槨が検出され,三角板革綴短甲(さんかくいたかわとじたんこう),鉄剣,鉄刀,鉄槍等が出土した。時期は古墳時代中期と考えられる。また,南頂部の第2号古墳(径22m)からは箱式石棺が検出され,鉄器片が出土した。時期は古墳時代中期と推定される。
そのほか,斜面地を中心に古墳時代~中世(3世紀後半~16世紀)の遺物も出土している。
 
【参考文献】
松崎寿和・潮見浩「広島県亀山遺跡」『日本農耕文化の生成』 1961年
潮見 浩「広島県亀山遺跡発掘調査報告」『広島大学文学部紀要』第21号 1962年
広島県教育委員会『亀山遺跡-第1次発掘調査概報-』 1982年
広島県教育委員会『亀山遺跡-第2次発掘調査概報-』 1983年
広島県立埋蔵文化財センター『亀山遺跡-第3次発掘調査概報-』 1984年
広島県立埋蔵文化財センター『亀山遺跡-第4次発掘調査概報-』 1985年
広島県立埋蔵文化財センター『亀山遺跡-第5・6次発掘調査概報-』 1986年
※ 弥生時代の年代については,佐原真「日本考古学・日本歴史学の時代区分」独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所編集『ドイツ展記念概説 日本の考古学』上巻 学生社 2005年 による。
 
亀山遺跡の主な遺構 環濠変遷図
亀山遺跡の主な遺構(左,史跡指定地外含む)と環濠変遷図(右)
(出典:広島県立埋蔵文化財センター『亀山遺跡-第5・6次発掘調査概報-』)
 
遺構一覧表
(出典:広島県立埋蔵文化財センター『亀山遺跡-第5・6次発掘調査概報-』)

 

名称 亀山弥生式遺跡
よみがな かめやまやよいしきいせき
指定 県指定
種別 史跡
種類  
所在地 福山市神辺町
員数  
指定年月日 昭和16年3月10日
昭和23年5月14日(名称変更)
昭和24年10月28日(追加指定)
構造形式 主たる時代:弥生時代前期(紀元前3世紀~紀元前2世紀)
法量  
公開状況 常時公開
交通案内 ○JR「道上駅」から北へ約600m
関連施設 名称  
開館時間  
休館日  
入館料  
所在地  
電話番号  
交通案内  

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