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1945(昭和20)年8月6日の原爆投下時,「広島県産業奨励館」は爆心地の北西約160メートルという至近距離にあったため,爆風により建物の屋根や床,壁のほとんどが崩壊。だが,爆風による力が上方からほぼ垂直に働いたため,建物の中心部分は倒壊を免れた。そして,頂上に残った円蓋鉄骨の形から,いつしか「原爆ドーム」と呼ばれるようになる。 1949(昭和24)年に「広島平和記念都市建設法」が制定され,被爆10周年を迎える1955(昭和30)年には現在の平和記念公園一帯が形づくられた。広島市の復興が進む中,原爆ドームの存廃論議が持ち上がり,記念物として残すという考えと,危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるので壊すべきだという意見に分かれた。論議の間にも小規模な崩壊や落下が続く中,次第に平和のシンボルとして保存を求める声が高まっていた。 1966(昭和41)年,広島市議会が原爆ドームの保存を正式に決定。全国規模の募金運動を行い,1967(昭和42)年に第1回保存工事を実施。現状のままの保存を第一条件に,当時最先端の技術だったエポキシ樹脂を注入して亀裂部分を修復するなどの処置を実施した。その後も,平成元年度に第2回保存工事,平成14年度に第3回保存工事が行われた。また,第2回保存工事以降,平成4年度からは,概ね3年ごとに健全度調査を行い,経年劣化等の現状を把握している。 そして,「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝え,時代を越えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑」として,1996(平成8)年,ユネスコの世界遺産に登録された。 |
 楕円形のドーム内部は鉄骨で補強されており,雨水による劣化を防ぐため,庇と樋も設置されている。 |