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1重政庸徳先生銅像

 重政庸徳先生の像(碑文)

 郷土農政の父,重政庸徳先生の像ここに立つ。先生は深安郡神辺町(現在福山市神辺町)に生まれ,農林省岡山農地事務局長,後,参議院議員,同副議長を歴任。戦後,国力疲弊し,食料窮迫その極にあるとき衆望に応え,三川ダム建設に尽瘁,10年の歳月を閲し,ここに完成す。
蒼范たる湖水は下流3,000ヘクタールの乾田を潤し,灌漑用水補給の源となり郷土発展の礎ここに固まる。芦田川沿岸土地改良区の関係者ひとしくその徳を仰ぎ像を建設して遺功を永く後世に顕彰す。昭和52年12月
重政庸徳先生銅像写真
2三川ダム管理事務所 新三川ダム管理事務所(建設中)写真
3慰霊碑・ダム諸元碑・主放水バルブ

 ・ダム建設関係者の慰霊碑
慰霊碑写真
・ダム諸元碑の内容
 
項  目 現況(かさ上後)
河川名 一級河川芦田川
位 置 広島県世羅郡世羅町伊尾
集水面積 108平方キロメートル
ダムの形式 重力式コンクリートダム
ダムの高さ 53.00m
ダムの長さ 154.20m
堤体積 135,000立方メートル
天端の標高 322m
常時満水標高 320m
設計洪水量 670m3/S
総貯水容量 12,697,000m3
有効貯水容量 12,306,000m3
湛水(たんすい)面量 769,900u
工事区間 農林省施工工事
工事期間 昭和24年12月から昭和35年3月まで
工事費 11億9千2百万円
工事区間 かさ上げ工事(福山市)
工事期間 昭和43年11月から昭和48年3月まで
工事費 14億9千5百万円
ダム諸元碑写真
・主放水バルブ[フィクストコーンバルブ(ハウエルバンガーバルブ)]
  ダム完成当初から平成13年まで使用されていた主放水バルブである。
口  径 900mm
落  差 最高 38m  最低 5m
放 水 量 放水量 0〜6.10m3/S
本体材質 SS400
製 造 年 昭和34年
施 工 者 農林省
昭和34年から平成13年まで使われた主放水バルブ
4本堰堤

 ダムの水を溜めるのに欠かせない堰堤,堰堤の上は年中立ち入り(通行)可能なのでダム湖面の状況,放水の状況を気軽に見物できます。雨季になるとゲートからの放水が見れるかも。
ゲートからの放流写真
5大竜神社

 「大成竜神」を祀っている社殿
 ※同所に「土地の荒神様」,「国常立尊」を祀っている社殿もあります。
大竜神社写真
6観音堂 県重文 万寺僧侶墓碑

 久恵に万年寺址あり,三川ダムの湖底に沈み,移転したもので,以前は寺址と思われる岩石垣がありました。寺の裏と考えられる所に墓碑が多数散財し,墓文によれば永禄・天文・年間のもので万年寺僧侶の墓碑と思われます。万年寺は霊松山万年寺と云い,室町時代相当栄えた禅宗(臨済宗仏通寺派)寺院と伝えられています。

廃万寺僧侶墓碑写真
7万年寺記念石碑

 廃万寺僧侶墓碑(6)の記念石碑
廃万年寺記念石碑写真
8森林公園

 三川ダムへ訪れた際,気軽に利用できる公園。すべり台などの遊具も設置されています。春は公園付近の町道へ桜が咲きとても綺麗です。
森林公園写真桜並木写真
9大妻女史銅像

・大妻先生の像(碑文)

 大妻コタカ先生は,明治17年熊田小十郎氏(32代)の末子として生まれ,川尻小・本郷高小・甲山裁縫学校を卒業後,郡内の小学校に奉職され,明治34年単身上京,和洋女子大学に学び,後,東京都・神奈川県で教鞭を取り,明治40年宮内省勤務の大妻龍馬氏と結婚,翌年千代田区に裁縫塾を創め爾来60有余年,現在の大学院・大学・短大・高校・中学を併せた一大大妻学園を創設された。また昭和27年郷土甲山町に大妻専門学校が設立されるや校長として推戴され,地方小女の教育に貢献された。その間,学長・学院理事長として教育界に偉大な足跡を残し,特にわが国女子教育史上不滅の金字塔を築かれた。昭和29年その功績により監綬褒章を,昭和39年第1回生存者叙勲で女性として初の勲三等に叙せられ,昭和45年1月3日80有六才の高齢で長逝されるや従4位勲二等端宝章を追賜せらる。茲に先生の御遺徳を偲び之を建つ。昭和51年10月 吉日 建之

大妻女子銅像写真

・久恵記念碑(碑文)

 此所久恵の里は昔時平家の落人来りて住し里となりと云う
 昭和初期民家僅に十二戸なるも太平洋戦争後食料事情の悪化により帰郷する者ありて水没時には二十一戸を数えるに至る耕地面積約12町 山峡の里は山紫水明の幽渓にして萬年寺遺跡 平家城址 船岩坐禅石 風穴等の奇観随所に在り四時閑静にして将に桃源の里たり 亦人情極めて豊潤にして相互扶助の念厚く同一家族の感あり
 戦後時代の要請に依り国はこの里にダム建設を計画し昭和二十四年着手 住民は住み慣れし墳墓の地を失いうことに悲涙慷慨するも趨勢如何とも為し難しく昭和三十五年三月末を以てこの地を離散するに至る
 茲に久恵集落の住持を偲び祖先の鎮魂と離散住民の幸福を希って記念碑を建立し世帯名を刻み永くその名を止める 昭和六十二年八月建之 

久恵記念碑写真
10大妻女史生家(ダム湖底より移転)

 三川ダムの建設に伴い移転した大妻女史生家
 ※移転当時,生家は700年程前の建築物と伝えてられていたので,すべて移転前のままの藁屋根で移築を行った。

大妻先生生家写真
@重正庸徳先生銅像 A三川ダム管理事務所 3 新三川ダム管理事務所(建設中) 4 慰霊碑,ダム諸元碑 5 本堰堤 6 大竜神社 7 観音堂 県重文 廃万寺僧侶墓碑 8 廃万年寺記念石塔 9 森林公園 10 大妻女史銅像,久恵記念碑 11 大妻女史生家(ダム湖底より移転)